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特集Vol.247

夜間中学ができた 札幌市立星友館中学校

公開:2025年3月17日

凍てつく冬空に、星が瞬き始めた午後5時30分。札幌・シアターキノの斜め向かいにある小学校の校舎は、煌々(こうこう)と明かりが灯っていた。机に向かうのは、数人の大人たち。年齢も国籍もバラバラ。でも、和気あいあいとした雰囲気で、何だか楽しそうだ。ここは、札幌市立星友館中学校。道内で初めて設置された、札幌市の公立夜間中学である。

特集「夜間中学ができた 札幌市立星友館中学校」の表紙の写真です
夜の星友館中学校。校舎の明かりが、学びを求める人々を温かく迎え入れる。

  凍てつく冬空に、星が瞬き始めた午後5時30分。札幌・シアターキノの斜め向かいにある小学校の校舎は、煌々(こうこう)と明かりが灯っていた。机に向かうのは、数人の大人たち。年齢も国籍もバラバラ。でも、和気あいあいとした雰囲気で、何だか楽しそうだ。ここは、札幌市立星友館中学校。道内で初めて設置された、札幌市の公立夜間中学である。  

「自主」の歴史は30年以上

  
   夜間中学と聞くと、山田洋次監督の「学校」(1993)を連想するけれど、あれは30年以上前の作品。今やすっかり普及しているのかと思ったら、「現在、夜間中学は私立を含めて32の都道府県・政令指定都市に53校。今後も増える予定ですが、十分な検討がまだ行われていない空白エリアも9県あります」と、星友館中の工藤真嗣校長は説明する。

  実は、北海道に公立夜間中学が出来たのも、つい3年前のことだ。
  そもそも夜間中学は、戦後の混乱期に家庭の事情で昼間通えない生徒のため、中学校に付設された夜間学級が始まり。その後、対象は外国人や不登校経験者など多様化。道内でそうしたニーズの受け皿となった草分けは、1990年から市民有志が始めた「札幌遠友塾」で、こちらは「自主」夜間中学と呼ばれる。ところが、会場だった札幌市民会館が取り壊されることになり、市民団体「北海道に夜間中学をつくる会」が発足。公立夜間中学の開設を2007年から求めてきた。
 「とはいえその頃、夜間中学の法的な位置付けは定まっていませんでした」と工藤校長。転機は、2016年の教育機会確保法。文部科学省が、全都道府県と政令指定都市に少なくとも1校は設置するという目標を掲げたことを受け、札幌市が市立資生館小内の空き教室などを活用し、2022年に開設したのが、この星友館中というわけだ。

教室に掲げられている「学ぶ=生きる」は星友館中学校の学校教育目標だ
生徒一人一人の理解度や進度に合わせた学習が可能。基礎から丁寧に学び直すことができる。

卒業を決めるのは、生徒自身


  「自主」との違いは、公立は中学校の卒業資格が得られることだろう。そのため、昼間と同じようなカリキュラムを想像したのだが、星友館中はどうも違うらしい。聞けば聞くほど「へぇ!」と感嘆してしまった、その特色を紹介したい。
 まずは、修業年限。基本は3年間だが、1年間でも卒業OK。反対にゆっくり学びたい人は原則6年間まで在籍できる。
「学齢期を過ぎた方が対象なので、経験もさまざま。本人の希望で2・3年生からでも入学できます」と工藤校長。
 そして、学習内容。授業は週5日・平日午後5時30分からの40分×4コマ。科目は昼間とほぼ同じだが、習熟度別の7コースの中から選択する。
 具体的には、必要な日本語を身に付けることが中心の「日本語コース」、小学4~6年の基礎的内容が中心の「ベーシックコース」、中学1~3年の重要な範囲を学ぶ「チャレンジコース」などで、学年の所属とは関係なく選べるという。
 「少しややこしいかもしれませんが、独自カリキュラムを設けられるのは夜間中学のメリットです」と工藤校長。先述した「1年間で卒業OK」についても、「試験は特にありません。『この学習をしたから』ではなく、『この学校で十分学べた』と生徒が満足したら、卒業してもらいます」と方針を説明する。
 実際、開校初年度は3人、2年目は8人が卒業。3年目となるこの3月には、在学生108人のうち、約20人が卒業を予定している。

分かるのは、面白い!


   授業を見学させてもらったのは、冬休み明けの1月17日。「チャレンジコース」の数学で、「(a+b)(c+d)」という分配法則の公式に挑戦していた車いすの男性がいた。3年生の吉野太さん(61)だ。
 吉野さんは北見出身。脳性まひのため、小学1年から旭川の病院に入院し、20代までリハビリ生活を送った。「院内学級でたまに勉強しましたが、大人になって読み書きができず悔しい思いをすることもあり、『学校に行ってみたい』とずっと思っていた」ことから約9年前、思い切って札幌に移り住み、「札幌遠友塾」に入学。卒業後、念願叶って22年、星友館中の1期生となった。
 夜間中学に通って良かったのは、「数学が好きになったこと」。今まで「分からないから嫌い」だった足し算も九九も、丁寧に教わり、自分のペースで覚えると「頭に数字が浮かび、何とか解けるようになりました。九九を計算できる自分が、不思議でしょうがありません」と笑う。
 いつも午後4時過ぎに登校し、予習したり、先生や同級生と話したり、学校生活を満喫。「勉強は、三歩進んで、四歩下がっての繰り返しですが(笑)、分からないことがだんだん分かるようになるのは、めちゃめちゃ面白い! 生活を180度変えて札幌に来たのは正解でした」と話す。

教員も「ビックリの連続」


  同じ日、別の教室では英語の授業が行われていた。「新年の目標」のお題に、白髪の女性が「物忘れがひどくて…」と口ごもった時、「大丈夫。みんな平等に忘れていきます」と、場を和ませていた先生がいた。英語科教員の芳村ひとみさんだ。
 芳村さんは20年以上、昼間の中学校で教えてきたベテラン。開校1年前から英語カリキュラムの作成に携わり、開校と同時に星友館中に異動した。いざ生徒を迎えたところ、「毎日がビックリの連続」だったそう。
 理由の一つは、生徒の学習意欲の高さ。「高齢の生徒さんの中には虫眼鏡を持参するほど熱心な方もいらっしゃいます。ただ、昔の『書く』学びから、今は『いかに英語を使って話すか』にシフトしており、そのギャップをどう伝えるかなど試行錯誤の毎日です」と話す。
 一律の学習内容や試験がない夜間中学での教員生活について聞くと、「私はやりやすいです。同僚の教諭が言った言葉ですが、『生徒さんはみんな、何かを埋めにきている』。それが学習なのか、友達や先生との交流なのか、学校行事なのか……そんな視点に立ちながら、みなさんと接することを心掛けています」。

3年生の吉野さん(左)と、教員の芳村さん。吉野さんは夜間中学で「分からないことをそのままにしない」ことの大切さを知ったという。

サポーターで個別支援も

  
 工藤校長が「夜間中学は〝最後のとりで〟。『勉強が分からないから学校を辞めます』ということだけは何とか避けたい」と話す通り、生徒一人ひとりに寄り添った手厚い支援があるのも星友館中の特徴だ。
 困りごとのある生徒を個別支援する約40人の市民スタッフ「学習サポーター」もその一つ。長根山未来さん(33)は星友館中を24年3月に卒業し、同年翌月から学習サポーターとなったレアケース。週イチで学校に来て、後輩を見守る。
 昼間の中学校を不登校気味のまま卒業し、通信制高校などを経て札幌で事務職として働く長根山さん。「コンプレックスだった中学の勉強をやり直したい」と1期生として入学したところ、「楽しかった! ただ、働きながらの通学は体力的にきつかったし、2年間ですごく満足できたので卒業することにしたんです」と振り返る。「でも何だかもったいなくて、冗談交じりに『私、サポーターしてもいいですか?』と先生に言ったら大歓迎されました」と経緯を明かす。
 意外だったのは、「実は私、サポートされることが苦手で…」という言葉。声を掛けてほしいタイミングも内容も、人それぞれ。それが分かるからこそ、「うざくないサポート」を目指しているという。
 「私みたいに久しぶりの学校生活にテンションが上がる人もいれば、進路に困ったり、切羽詰まって入学した人もいると思うから」という長根山さんの言葉が胸に残った。確かに、10~20代の生徒数は34人で、全体の約3割。昼間の中学校を卒業後、すぐに星友館中に入学する生徒も増えているという。

星友館中学校の給食は仕出し弁当。生徒同士や教員との会話も弾む。食事の時間も大切な学びの場であり、年齢や国籍も異なる生徒たちが交流を深める場でもある。

「学ぶ=(は)いきる」


  教室に、こんな言葉が掲げられていた。
 「学ぶ=(は)生きる」。
 「学ぶことが十分出来なければ、生きる喜びも十分味わえない。夜間中学で学ぶことで、より自分らしく生きてほしいという願いを込めた言葉です」と工藤校長は語る。
 3年生の吉野さんはこの3月、星友館中を〝自主退学〟する。理由は「憧れだった定時制高校に進学するため」。卒業ではなく、退学を選んだのは、「またこの学校に戻ってきたいから」だという。

 星友館中の授業が終わるのは午後9時。すっかり暗くなった夜空に星がさんさんと輝く中、生徒たちは家路につく。
 誰のためでもない。自分のために学び、生きようとする人を温かく受け入れ、優しく送り出してきた星友館中は、まもなく4度目の春を迎える。

(文:新目七恵 写真:吉村卓也)

※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください

ここからは特集に関連して会員の皆さんからよせられたコメントをご紹介します。

投稿テーマ『中学生だったころ』

私が中学生だったのはもう半世紀以上前。東京のベッドタウンの町でした。クラスには50人近くいたいような気がします。教室が足りなくて、どこの学校でも校庭にはどこもプレハブ校舎が建っていました。個人的には中学校にはあまりいい思い出がありません。とても管理が厳しい学校だったからです。勉強も振るわず、スポーツはからっきしダメの私には居心地のよい場所ではなかったです。
「金八先生」が人気になったのはもう少し後。「荒れる中学生」みたいな時代もありましたね。今はそんな話もすっかり聞かなくなった気がしますが、どうなんでしょう。
みなさんはどんな中学校時代を過ごしましたか?中学生のお子さん、お孫さんをお持ちの方も多いかも。中学校のお話、ぜひお聞かせください。

ちょうど荒れている時代だったので、不良にびくびくしながら生活してました笑(Kさん)

私が中学3年生の時、高校受験の帰りにひとりで狸小路の映画館に行き、ブルース・リーの「燃えよドラゴン」を見てから帰宅しました。心の中で「アチョー」と叫び、受験から解放された喜びをかみしめました。(けいいちさん)

転校して行く女子に、クラス全員で記念の贈り物をして涙涙で見送りました。
でも直ぐにお母さんと2人で戻って来ました。行った先の中学が大変荒れていたそうです。お父さんはその後ずっと単身赴任をしたとの事です。
転校って大変なんだと思った中学時代でした。(花束さん)

通っていた大川中学校も閉校で悲しい限りですが生徒数も少なくまだ携帯電話もSNSもなく陰湿ないじめもなく田舎で仲良かったです。外で遊んでいたしスキー・スケートは当たり前でしたね。書道の授業も懐かしいですが今の中学生はすずりで墨をないと思うと寂しい限りです。田舎の地方の閉校のニュースを見るたびに故郷を思い出し憂いています。(KANTON$さん)

中学生の頃は田舎のほうに住んでいて、町(といっても田舎ですが)までバス通学でした。朝夕のバス通学用のバス以外はほとんどなくて、乗り遅れたら終わりでした。朝は学校休めばいいけど^^ 帰りはマジ困りました。当然部活等はできなくて それでもちょいとお買い物なんてうろついて失敗したことも何度かありました・・・。(masaさん)

初めてバレンタインデーにチョコレートもらって嬉しかったですね。(くっしさん)

普通な平凡な中学生だったはず。学ランのボタンを変えて、半年に一回ぐらいいろいろなデザイン(裏地やワタリのサイズ)のズボンを楽しんでた。(よつしーさん)

「金八先生」の時代です!!(ぽんちゃんさん)

中学は私の中での黒歴史です。もしこうしていれば、もう少し勉強を頑張っていればなど、過去には戻れないですが、ドラえもんがいれば中学背時代に戻りたいです。(ヒロリンさん)

部活でソフトボールをやっていました。日曜も夏休みも練習で、今思い返すとすごく頑張ってたな。充実した毎日でした。(もとこさん)

あまり良い思い出はありませんが、もっと勉強頑張っていれば良かったと思います。(あきこさん)

私が中学生だったころは公立の中学校に通っていたのですが、不良少年がいて、ある日、登校すると、学校の窓ガラスが全部割れていたり、校内をバイクで暴走する子がいたり、先生自身も竹刀を持って校門に立っていたりして、衝撃的な時代でした。今では考えられない時代でした。(うさぴょんさん)

学校祭のためにみんなで取り組んだ合唱が1番な思い出(あゆみさん)

不良や、音質なイジメもなく、平和な中学でした。(kawaさん)

良い思い出は何もなかったと思います。(ぽんちゃんさん)

中学校の頃は、大人に憧れてちょっとませていましたが、何もかもが新鮮で楽しかったなと記憶しています。
勉強に、習い事、部活の両立などで濃い3年間でしたがあっという間だったようにも思います。テレビドラマなんかも今よりもっとみていたな、クラスで話題になっていたなと懐かしいです。欲を言えばもっと遊んでいればよかった!と少し後悔も。
卒業式の時はそれぞれの道、別れもあり寂しかったな、とこの時期は毎年思います。(ゆかさん)

僕の中学校は、大阪市内にあり、3つの小学校から進学する学年12クラスの大規模校でした。だからもちろん、全員の顔と名前が一致できるはずもなく、60歳を過ぎてからほぼ毎年開催している学年同窓会でも、初めて知るということも。大阪市内なので、今でも同じところに住んでいる人もほとんどいないという状態です。(のりやすさん)

もう50年前北海道の田舎で中学校には倒れないように支えがついた学校でした。ただ支えは年数が経ち校舎には付いていなく役には立っていなかった
ボロボロの校舎が懐かしい。(しろくまさん)

私にとって中学生の頃は黒歴史
楽しいこともあったけど、人間関係が本当に辛かった
早く地元離れたかったし早くこの狭い世界を断ち切りたかった(こうさん)

金八先生は見たことがないです。中学生日記もありませんが・・・。(三連星さん)

中学時代は1・2・3年全部違う学校だったため、全く良い思い出はありません。(MNBさん)

バリバリの「金八先生」時代です!(チョコ星人さん)

新築だった校舎。すでに建て替えられた。時の流れを感じる。(takahideさん)

cosbyのリュック、SCENEのパーカー
どちらも流行っていたけれど、身につけても良いのは「目立つ人」のみという暗黙のルールみたいなものがあり、地味で凡人枠の私は欲しくても買えない。人生の中でも中学生は一番訳が分からない時期でしたね(ぎんざんさん)

私の中学時代はまだツッパリ全盛で校内暴力も珍しくなかった時代です。新聞沙汰にもなりました。パンチパーマのクラスメイトも何人もいました。バイクが学校の廊下を走ったことも。子供に話すと目をまるくして驚くので面白いです。(mikioさん)

人数が多かったです。1クラス40人でした。(なおぴぃさん)

 わたしが中学生だったころ、ツッパリ全盛時代でした。尾崎豊の「卒業」の歌詞のとおり、窓ガラスは割られ、窓から机やいすは校庭に投げ捨てられ、校庭では爆音でバイクが走っていました。もちろん授業時間中。
 紆余曲折あって現在高校教員をしていますが、中学校の免許だけはいらないと思って資格を取りませんでした。あのころの先生、どんな気持ちだったんだろう・・・。(しゃおむーさん)

金八先生でも学校に機動隊が来て中学生が逮捕されるシーンが衝撃的でしたね(H)

私の中学校の一番の思い出は、青森への修学旅行です。初めて乗った青函連絡船、バスの車窓から見た十和田湖や奥入瀬渓流の美しい景色、仲間たちとの旅館での楽しいひととき。もう60年も前のことですが、昔のアルバムを開くと、当時のことが懐かしく蘇ってきます。(のぶよしさん)

高台に校舎があり、20分歩いて登校しました。上り坂は大変でした。
部活の練習で、海岸線を走りました。
楽しい思い出です。
(マキコさん)

私の過ごした中学生は時代は、友達と毎日遊んでいました。
大人になった今でも、連絡を取り合っている仲です。(うさぎさん)

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