岐阜の三千櫻酒造は老朽化と温暖化対策のため、北海道東川町に移転。東川は水と米の質が高く、町も酒造業振興に熱心だった。移転後、町内有志が酒米栽培を始め、2024年度には57トンを三千櫻に納入。 JAひがしかわは東川米と三千櫻酒造の日本酒をセットで輸出しており、今後は日本酒の輸出国を拡大する予定。三千櫻酒造は生産量を増やし、商品ラインアップも充実。地元出身の若手蔵人が新たな地酒「芽吹く」を造り、山田さんは北海道の地酒文化の発展に尽力している。

岐阜県で1877(明治10)年に創業した「三千櫻(みちざくら)酒造株式会社」が、2020年に北海道の東川町に酒蔵ごと移転して今年で5年目を迎える。新たなスタートを切った酒蔵は、このまちでどんな歴史を刻み始めているのだろう。
三千櫻酒造は木曽山脈を臨む岐阜県中津川市(旧福岡町)で創業し、自社で所有する山の湧水を仕込み水に、地元産の低農薬米を積極的に使い、多くのファンに愛される日本酒を造り続けてきた。そんな老舗酒蔵が、なぜ北海道へ?6代目蔵元の山田耕司さんは、はるばる東川町へやって来た理由をこう話す。
「中津川の蔵は創業時から使ってきた設備で、修繕や改修を重ねてきましたがいよいよ老朽化が激しくなり、どうしようか悩んでいました。それと同時に近年暖冬が続き、これまで通りのやり方で酒を造ることが難しくなっていました。これからは気温の低い北国が酒造適地になるだろうと考え、2015年頃から土地を探し始めました」。
北海道でいくつかのまちを見て歩くうち、たまたま友人が東川町を頻繁に訪れていて、「何がそんなに面白いの?」と思いよく話を聞いてみると、これは移転先にぴったりではないかと興味を持った。

東川町は北海道屈指の米どころであり、町の生活用水は大雪山旭岳の雪解け水で、北海道で唯一「上水道のないまち」として知られている。町内にある大雪旭岳源水公園には遠方から水を汲みに来る人が後を絶たない。
また、町役場やJAなどの人たちが地域振興に非常に熱心で、長年にわたって「東川のおいしい水と米で地酒を造りたい」という熱い思いがあった。
ちょうど2019年に町が酒造施設を建設し、管理運営する事業者を公募する「公設民営型酒蔵」のプロジェクトが立ち上がり、三千櫻酒造がそこに手を挙げ、審議ののちに採用となった。
「現役で稼働中の酒蔵が災害などの影響ではなく、自分の意思で県をまたいで移動するのはかなり珍しいケースだと思います。うちの蔵は規模がそれほど大きくなく、不動産業をやっていたわけでもないので、動きやすい条件が揃っていました」。
水が変わることを心配する声も多かったが(中津川は硬度8の超軟水、東川は硬度60〜70の中硬水)、山田さんは硬度230の超硬水のメキシコで日本酒造りを指導した経験から「その水に合わせたやり方をすれば大丈夫。もちろん、水がいいとその分手間が減りますから大きなアドバンテージになります。その意味で東川の水は素晴らしく申し分のない条件で、私たちはその恩恵を受けて随分楽をさせてもらっています」と話す。
東川町は全耕地面積に占める水田の割合が8割以上にのぼり、恵まれた水資源を強みに、独自の厳しい品質管理を行うことで「東川米」をブランド化してきた。
生産しているのは主食用米の「ゆめぴりか」と「ななつぼし」が中心で、日本酒の原料となる酒造好適米(酒米)はごく一部にとどまっていた。しかし、三千櫻酒造が東川町で初めての酒を仕込むこととなった2020年の春から、町内の有志5軒によって初めての酒米づくりがスタートした。JAひがしかわ営農販売部米穀課の山下裕輝さんに話を聞いた。
「酒米も一般的な主食用米も基本的な栽培方法は同じですが、初めての品種に取り組むのはやはりハードルがあります。ですが、東川の水と米で地酒を造ることは私たちの念願であり、生産者はもちろん行政・ホクレンとも連携して酒米づくりをスタートしました」。
挑戦した品種は「彗星」と「きたしずく」、どちらも北海道で開発された寒さに強い酒米だ。主食用米はタンパク質の含有量が低いほどおいしいとされるが、酒米も同じく「低タンパク米」であるほど雑味のない日本酒となる。
「東川待望の地酒ですから、まずは三千櫻酒造が必要とする量をきっちり確保すること、そして高品質な米を生産すること、この2つを重点に今も取り組みを続けています」と山下さん。初年度の生産量は約26トンにとどまったが、2024年度は約57トンまで増え、全量を三千櫻酒造に出荷している。
「生産者が愛情を込めてつくった米を、山田社長がいい地酒にしてくれる。全てのお客さんにも自信を持って紹介できて、皆さん間違いなく『おいしい』と言ってくれます」。
米づくりと酒づくり、二つの確かな技術がまちの特産をつくっている。


JAひがしかわでは2020年から本格的に東川米の輸出を行い、販売先は香港、台湾、アメリカ、フィンランドのほか、アジア・欧州を中心に計10カ国、日本酒はブラジルに輸出している。2020年までは米だけの輸出だったが、そこに三千櫻酒造が製造する日本酒が加わって勢いが加速した。
「東川米と日本酒をセットでPRできることは大きな強みです。2024年の日本酒の輸出はブラジル1カ国だけでしたが、今後はその魅力をもっと世界に発信していきたい」と山下さんが展望を語ってくれた。
三千櫻酒造ではこの5年で順調に生産量を伸ばしてきた。初年度は1升瓶にして2万5000本、2年目は5万本、3年目は5万6000本、4年目は7万本、5年目の今季も同様の見込みで、当初目標としていた数字をほぼ達成する。
商品ラインアップも増え、東川産の「彗星」と「きたしずく」で造る酒はもちろん、中津川時代から使っている「愛山」などで造る酒、東川に来てから初挑戦したシャンパン製法のスパークリングなど約20種類にのぼる。
それから、中津川市から家族と一緒に移住してきた社員1人に加え、こちらで採用した社員が10人ほどに増えた。今回取材した4月中旬は、山田さんを含めた5人の素晴らしいチームワークで仕込み作業が行われていた。
「今日は20、30、40、50、60代が揃っています」と明るく紹介してくれたのは、茨城県の結城酒造の杜氏で、3年前から三千櫻酒造に来ている浦里美智子さん。ここで山田さんの片腕として副杜氏を務めつつ、自社の醸造も行っている。江戸時代から続く結城酒造の蔵が3年前に火事で焼け、以前から交流のあった山田さんが、浦里さんに「再建まで酒造りができないのでは腕が鈍るだろう」と提案したのだ。
「美智子のレシピでやるときは、私は何もしません。他の社員と作業するだけ」。さらりと話す山田さんの温かさにじんとくる。


筆者は5年前にも三千櫻酒造を取材し、その際山田さんは「地元の若い人たちが酒造りに興味を持って挑戦してほしい」と話していたのだが、それがもう現実になっていた。
20代の平川剛史さんは東川町出身で、建築会社に勤務していたが「何か違うことをやってみたい」と思っていたそうだ。折よく三千櫻酒造で人材を募集していることを知り、4年前から働いている。30代の佐々木達也さんは旭川市出身で、同じく4年前に自衛隊を退職後、「ものづくりをしてみたい」と三千櫻酒造へ。初めての世界に飛び込んだ若き蔵人が、新しい蔵でキビキビと立ち働く姿は頼もしく軽やかだ。
2人が入社して3度目の冬、酒造りの基本はだいたい覚えただろう、ということで、杜氏(山田さんや浦里さん)の指示ではなく、自分たちで全てを考え、監修する大仕事を任された。山田さんは浦里さんレシピのときと同じく、「作業以外は何もしない」というスタンスだ。
そして約2カ月が過ぎ、東川産「きたしずく」100%の純米吟醸が無事完成。山田さんはこの新しい地酒に、「熱を持って蔵をつないでほしい」との気持ちを込めて「芽吹く」と名付けた。
今季も2回目の仕込みが完成し、3月下旬から限定1200本の販売が始まっている。お客さんの反応は上々で、町内の販売店では間もなく売り切れとなりそうだ。

山田さんに今やりたいことを聞くと、「北海道のお酒をにぎやかにすること」と答えてくれた。北海道に住む人が、北海道の地酒をもっと楽しみ、日本酒の文化がにぎやかに広がっていくこと。そのために新たなプロジェクトにも取り組んでいるという。例えば、芦別市で酒米「山田錦」の生産に成功した加藤農場が次は自ら酒蔵をスタートさせる予定で、山田さんは醸造責任者として着々と準備を進めている。また、北海道で新しく稼働する酒蔵とのコラボレーションも計画中という。さまざまな場所で、さまざまな形で、また新しい人と日本酒の芽吹きが始まろうとしている。
(文:石田美恵 写真:吉村卓也)

最初にお断りしておきますが、私は体質的にアルコールが全くダメなので、うまい酒というのがどういうものなのかわからないんですよ。
お酒を嗜む方にお聞きしたい。「うまい酒」ってどんなお酒ですか?
どういう時に「お酒がうまい」と感じるのでしょう?ジャンルを問いませんので、ぜひ教えてください。
私はいわゆる「お酒の席」ではノンアルコールビールを飲みますけど、おいしいなと思います。
酔っ払いはかんべんして欲しいですが、楽しい会話が楽しめれば飲めなくても飲めても関係ない!
お酒は飲まないけれど「今日はうまい酒が飲めた!」という気持ちは共有できる気がします。
お酒は料理の味を引き立てる役割が重要ですね(H)
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