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特集Vol.255

「保育園留学」発祥の地・厚沢部町

公開:2025年11月17日

道南の厚沢部町は山深い町だ。函館から渡島半島を横切るように西に向かって車で約1時間。海はないが、日本海側の江差町はすぐそこの隣町。人口約3200人、過疎の町の小さなこども園に、全国から一時預かりの希望が絶えない。予約は1年以上先まで埋まっている。いったい何が起きているのか。

特集「「保育園留学」発祥の地・厚沢部町」の表紙の写真です

厚沢部は保育園留学発祥の地

夏の芝生の園庭を駆け回るこどもたち。
夏の芝生の園庭を駆け回るこどもたち。自由でのびやかな時間が、日常の一部になっている。

 道南の厚沢部町は山深い町だ。函館から渡島半島を横切るように西に向かって車で約1時間。海はないが、日本海側の江差町はすぐそこの隣町。人口約3200人、過疎の町の小さなこども園に、全国から一時預かりの希望が絶えない。予約は1年以上先まで埋まっている。いったい何が起きているのか。

山あいの町に全国から家族が集まる

 厚沢部町認定こども園「はぜる」は、町を見下ろす小高い丘の上にある。芝生の園庭ではこどもたちが元気に走り回っていた。建物には町産の木がふんだんに使われ、「ようこそはぜるへ」と書かれた壁にはその月に受け入れる28人の子どもの名前が並ぶ。その多くは首都圏や関西圏など道外から、「保育園留学」という仕組みを利用してやって来る。家族で1〜2週間町の住宅に滞在し、子どもははぜるに通う。この「保育園留学」を日本で最初に始めたのが、厚沢部町だ。

 こども園、保育園、幼稚園。これらがどう違うのか簡単に説明しておこう。どれも小学校に入る前の子どもが通う施設。「幼稚園」は3〜5歳までが対象で教育が中心、管轄は文部科学省。「保育園」は0〜5歳が対象で働く親のための保育が中心、管轄は厚生労働省。「こども園」はその両方を合わせ持つ施設で2006年に制度が始まり、こども家庭庁(内閣府の外局)がまとめ役だ。

待機児童の父親が見つけた「突破口」

 厚沢部町の保育園留学のきっかけをつくったのは、株式会社キッチハイクの山本雅也社長だ。

 山本さんがかつて住んでいた横浜では娘の保育園探しで毎月のように区役所に電話していた。だが、空きが無く、入園を断られ続けていて、民間の保育所に入れざるを得なかった。

 「ひょっとしたら小学校に入るまでずっとこのままじゃないかと思いました」と当時のことを振り返る。

 なんとか方法はないものかと、こども園のルールを徹底的に調べているうちに、「一時預かり」という制度に出会った。ふだんは園を利用していない家庭の子どもでも、短期間だけ預けられる仕組みだ。

 そして目に留まったのが、仕事で関わりのあった厚沢部町のこども園はぜるの写真だった。広々とした自然環境に心を奪われた。

 ひょっとしたら自分の娘も通えるのではないかとひらめき、「3週間通わせてもらえないか」と町にメールを送ったのが2021年の6月。町の担当者との折衝を経て、7月の後半から家族で町の移住体験用住宅に住みながら、子どもをはぜるに通わせることができた。

キッチハイク代表の山本雅也さん
キッチハイク代表の山本雅也さん
橋端純恵さんと西村智香さん
はぜるの主幹保育教諭の橋端純恵さん(左)と西村智香さん

「走っちゃダメ」から「やってみよう」へ

 環境は思った通りのすばらしさだったが、山本さんを心底感動させたのははぜるの先生たちの「本気度」だったという。

 「子どもの主体性を大事にしていて、“みんな一斉に同じことをする”という保育ではない。ここなら子どもが伸び伸び育つと思ったんです」と山本さん。

 この体験をさらに多くの家族に体験してもらいたいと誕生したのが「保育園留学」だ。

 キッチハイクはもともと「料理をつくる人と食べる人をつなぐ」サービスから始まった会社で、山本さん自身、食を通じた人のつながりをテーマに世界47カ国を旅してきた。「人が交わる場をつくる」という発想が、いまや子育てと地域を結ぶ事業へと発展した。

世界一の園を作りたい

 「この先生たちがいなかったら保育園留学はなかった」と山本さんが言うのが、現在同園の2人の主幹保育教諭、橋端純恵さんと西村智香さんだ。

 はぜるがオープンしたのは、2019年。それまでに町内に3つあった保育所が統合された。2人とも保育所時代からのスタッフで仕事歴は約30年のベテランだ。老朽化した建物の改築と、園児数の減少を背景に集約が進んだが、民間委託ではなく町直営を選んだ。「自分たちで理想の園を作りたい」との声が職員の中から上がったという。

 「以前は安全第一の考えから、決まった時間に同じことをやらせることが多かった。でも、そんな保育でいいのかという迷いが常にありました」と橋端さん。

 全国の保育関係者が集う研修会で自由な保育の例に触れ、「これだ!」と衝撃を受けた。

 「できないラインを引いてばかり」だった自分たちの保育とは違う世界があることを知り、「目からウロコとはこういうことか。やりたいのはこういうことだった」と2人で確認した。、帰りの車の中では2人とも無言。「あまりの違いに打ちのめされて」、涙が出てきた。見ると隣の西村さんも泣いている。「自分たちがやってこれなかったことが情けなくて、腹が立ったんだと思います」。

 「公立では無理だ」「委託した方がいいんじゃないか」と言われていたのを跳ね返して選んだ「自立」の道。

「自分たちで言った手前、責任もある。今度作る園はきっと100年は続く。西村に話したら『世界一の園にしたい』と真顔で言うんです。笑いながら聞いていましたが、こどもの『やってみたい』に全力で寄りそう園にしようと思いました」と橋端さん。

子どもが走り、親が深呼吸する

群馬県から滞在中の大竹さん一家
「テレビもないしスマホを見る時間も減った」という群馬県から滞在中の大竹さん一家。 滞在しているのは保育園留学家族のためのもの。木のぬくもりが感じられる。

子どもたちの世界が広がる 

 そんな経緯で生まれたはぜるに山本さんが出合ったのがオープン3年目の夏。立ち上げの忙しさも落ち着き、少し余裕も出てきたころ。山本さんからの「保育園留学」打診のメールを、園でスタッフ全員に共有した。職員たちは即答した。「来てくれるなら面白そう!やってみよう」と。

 初日は泣いていた留学の子どもたちも、すぐに園になじむ。すると今度は地元の子どもたちに変化が現れた。「川に連れて行こう」「雪山で遊ばせてあげたい」と、町の魅力を伝えようと話し合う姿が増えたという。「交流が生まれるたびに、子どもたちの世界が広がっていくのを感じます」と橋端さんは微笑む。ここでは毎日が「今日は何をしたい?」と子どもたちに問うことから始まるのだ。

町ぐるみで迎える「もうひとつの家族」

 2022年4月、厚沢部町とキッチハイクは正式に連携協定を締結。町は留学家族向けの住宅を整備し、現在は専用住宅4棟に、これまであった移住体験用住宅を加え計10戸を用意。いずれも年間を通じて満室状態が続く。2024年度は168家族、268人の子どもが利用し、常に園児の約1割が留学生だという。体験した家族は95%以上が再訪を希望するという。利用料金は大人2人、子ども1人の場合、1週間で保育、宿泊費で約21万円だが、地域によって異なる。

 今は町に常駐するキッチハイク社員もいる。山田浩太さん(函館出身)は東京からUターンし、娘をはぜるに通わせる。「廊下を全力で走る姿を見て、ウチの子、こんなに走れる子どもだったんだ、と涙が出るほど感動しました」と語る。山田さんも東京時代は娘が待機児童。通わせていた民間の保育所はコンビニの入る建物の2階だった。

家族が語る、それぞれの厚沢部

 埼玉県在住の富永稔さん、亜希子さん夫妻は6歳と3歳の2人の娘を連れて2回目の参加だ。SNSで見た保育園留学の情報を見て興味を持ったという。初めて訪れたのは2024年の10月。着いた当日は夜で、暗くて寒くて店も閉まっていてびっくりしたが、次第に慣れたという。子どもたちはすぐに園になじみ、「好きなときに水を飲める」「お昼寝が強制ではない」「廊下を走ってもいい」といった自由さに目を輝かせていたと、亜希子さんは話す。

 「子どもはたぶん旅行のような感じでいると思います。仕事を休めるのも1週間くらいなので、滞在はそのくらいが上限。家族の時間と子どもの成長を実感できる貴重な時間です」と稔さん。

埼玉県からの富永さん一家
埼玉県からの富永さん一家は二度目の利用。
遠藤友美さんと山田浩太さん
山田浩太さん(右)は厚沢部町在住のキッチハイクの社員。遠藤友美さんは保育園留学が縁で移住し、はぜるで働く。

育休を使って夏の北海道へ

 群馬県から初めて参加した大竹裕太さん、樹里さん一家4人は、下の子の育休を使って2週間滞在。「夏は40度を超えるので、全く外で遊べない群馬と違い、ここは別世界。テレビがないから時間の流れもゆっくり。子どもがYouTubeを見なくなり、身近なもので遊ぶようになりました」と樹里さん。

体験から移住へ

 札幌生まれ東京育ちの遠藤友美さんは保育園留学がきっかけで厚沢部に移住した。保育士の免許があることもあり、現在はキッチハイクの社員としてはぜるで働く。夫の仕事はコロナが収まってからだんだんとリモートワークができなくなり、東京に単身赴任中の二拠点生活だ。体験は2023年の3月。すっかり気に入り、少しでも長くはぜるに通わせたいと6月に移住した。

 住んでいた東京都品川区は「コンクリートまみれ」。小学校に入る前から早期教育に躍起になり、生まれてすぐに競争が始まるような周囲に疑問があった。子どもが待機児童だったころは、民間の保育所に月約9万円を払っていたという。子どもは今厚沢部町の小学校2年生だ。

 「はぜるのときはいろいろな子どもがいたが、小学校に入ると小さな町なので顔ぶれが固定される。これからはそこがちょっと懸念ですかね」と話す。

 「元々おとなしい子だったですが、こちらに来たらけっこうはじけて、自分の主張もするようになった。親子ともども視野が広がる貴重な体験でした」と語る。

 厚沢部から始まった保育園留学。道内では、小樽市、清水町、上士幌町、浦河町、月形町、湧別町などで行っている。全国では約60以上の地域に広がり、累計約3000家族、約1万人が参加した。事業の運営会社であるキッチハイクは11月に本社を東京から厚沢部町に移す。

 子どもが走り、親が深呼吸し、町の人が見守る。町と家族がともに育つ物語のはじまりだ。

(文・写真:吉村卓也)

※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください

ここからは特集に関連して会員の皆さんからよせられたコメントをご紹介します。

投稿テーマ『こども園、幼稚園、保育園 』

小学校に上がる前の子どもが通う施設、最近はこの3つがありますね。
「幼稚園」は3〜5歳まで対象教育が中心、管轄は文部科学省。
「保育園」は0歳〜5歳が対象で働く親のための保育が中心で、管轄は厚生労働省。
「こども園」はその両方を合わせ持つ施設で2006年に制度が始まったそうです。内閣府がまとめ役だそうです。最近は「こども園」を各地でよく聞くようになりましたね。
「待機児童」の問題も聞かれるようになりました。民間の保育所も多いですね。小学校に入る前のお子さんをどこに預けるのかが、切実な問題となっている家庭も多いかと思います。
私は「幼稚園」でした。もちろん遠い昔なので、「こども園」はなかったです。でも通っていたときのこと、不思議と覚えているものですね。園庭のジャングルジムとか、当時の先生とかの顔は目に浮かびます。
遠い昔の思い出、こども園、幼稚園、保育園 に関する思い出、なんでも結構です。ぜひお聞かせください。

※テーマ設定が遅れて申し訳ありませんでした。
「未設定」だったり別のテーマが出てしまったりで混乱させてしまい申し訳ありませんでした!
「未設定」というテーマでの編集部からのクセ球ではありません(笑)。
頭をひねっていただいたみなさま、大変申し訳ありませんでした。こちらのポカミスでした。大変失礼いたしました!

幼稚園に通いましたがほとんど何も覚えていません。とろい子どもだったみたいですね(笑)。(ようこさん)

バスで遊びながら通学してました(Kさん)

ベビーブームの子供の子供だったので、とにかく幼稚園もどこも子供だらけ。運動会も人人人だったですよね(かわうそさん)

幼稚園生の頃の、あだ名は「ヤンキー」で座り方とかもヤンキー座りをしたり口調や態度もヤンキーに憧れてヤンキーの真似をしていました!(ゆきだるまさん)

私は家庭の経済的な事情で無園児でしたので、幼稚園・保育園(当時はこども園はなかった)に通園した経験がなく、直接小学校に進学したため、周囲の多くが平仮名・片仮名の読み書きや簡単な計算を既に幼稚園や保育園で学んでいたので、読み書き計算ができない私は入学時点で彼らに遅れを取っており、それがいじめにも繋がり、私は義務教育の9年間、いじめで苦しみ、辛い思いをしました。無園児でいいことは全くありませんでした!(すぴかちゃんさん)

私の子育て時代、もう40年も前のことですが、今とは違い比較的楽に入ることができました。また孫たちも近所の幼稚園に申し込んですぐ入園できましたので、とても助かりました。優しくて良い先生にもあたり、私の子供たちも孫たちもとても楽しい幼稚園の思い出をつくることができました。(あつろうさん)

保育園に行くのに、近くの子供たちみんな、近所の居酒屋の軽トラの荷台に乗っていきました。昔々、昭和のはなしです。(タカコさん)

聴覚障害だった息子を 幼稚園で受け入れていただき 語彙も増え お友達と楽しく遊んでいたことを 懐かしく思い出します。
子供は子供の中で育つと実感しました。
先生も笑顔に溢れていて とても良い思い出です。(けい坊さん)

私は音大付属幼稚園に行ったので幼稚園でのピアノのお稽古。その後の人生を豊かにしてくれました。音大にはいかず音楽のお仕事には尽きませんでいたが、楽しい幼稚園生活でした。選んで入れてくれた両親に感謝です。(Aiさん)

幼稚園の頃大変な恥ずかしがり屋でした。お母さんが私のために好きなアニメキャラクターの顔を模したおにぎりを作ってくれたのですが、それをみた先生が、みんな、◯◯ちゃんのおにぎりすごいよー!と言ってみんなが集まってみにきて、褒められて嬉しいのにみんながたくさん集まって恥ずかしくて顔が真っ赤になったことを覚えています。クラスのみんなでお友達がどんな子か言っていくというのがあったのですが、私はクラス一致で「恥ずかしがり屋さん」でした。ちなみに今はそんな面影は一ミリもありません(笑)(りょうさん)

次女が元気が良すぎて保育園に迎えに行くのが…。
先生に声かけられるとつい身構えて”今日は何をしましたか?”と
心配顔で先生を見つめていました(笑)
只の声掛けだった時はホッと心を撫で下ろしていました。
男の子顔負けのヤンチャさんでしたが今は可愛い女性に変化しています。(櫻子さん)

うちは3兄弟同じ保育園です。年齢が離れているので保育士さんは違うのですが、18歳差の弟のお迎えに行ったら中学時代の同級生だったのは驚きでした。(よつしーさん)

息子は保育園、幼稚園などの集団生活の場に通うことなく家庭保育で、小学校へ上がりました。日中散歩していると、地域の皆さんがいろいろと声をかけてくれて、地域で育てられたなぁと振り返ります。家庭で過ごすことができた環境だったこともありますが、家庭保育からの就学も選択の一つとしてあってよいのかな、と思います。就学前には家で卒園式のようなことをしました。今春社会人になった息子に当時の事を聞いてみたいです。(さとり-さん)

我が家の場合、保育園に4ヶ月から、長男、長女2人お世話になりました。
小さいながらも、小さい子ども同士の関わりあいで、沢山の経験をさせてもらい、親の私達も、成長を見られて、幸せな時間でした。(くっきーさん)

幼稚園、母親と手を繋いで歩いた帰り道が今でも懐かしく思い出されます。(ひろのりさん)

私は双子だったので、いつも二人で幼稚園に通ったのを覚えています。
60代になった今でも仲良しです。(えっちゃんさん)

軍手人形を作り交通安全の人形劇を見せました。幼稚園でも保育園でもなく…50年昔の記憶です。(alareさん)

子供は幼稚園でした。(あやたろうさん)

小学生の頃は、公園にあるジャングルジムと鉄棒と滑り台を、順にぐるぐる回って遊ぶのに、ハマっていました。(ももぱんさん)

大学生2人の息子はどちらも幼稚園に通いました。
当時フルタイムで働いており、数名のフルタイムママが長期休みの時の預かり保育や延長保育も利用しながら園生活を送っていました。
親子遠足、夏祭りなど親も参加する機会も多く、働くママには大変でしたが今となれば良い思い出です。(すうさん)

保育園、子ども園、幼稚園選び悩みます。孫もどこにはいれるかわかりません。今の親子さん大変だと思います。(みゆきさん)

親が商売をやっていましたので2つ下の妹と保育園に預けられてました。自分は妹の面倒を見ていた記憶があったのですが、実は反対で、妹の方がしっかりしていたそうです。保育園の連絡帳に書いてありました。30年以上前に亡くなってしまった妹ですが、存命ならお互い還暦過ぎの高齢者・・昔話をしたかったなと思ってます。(ヒロリンさん)

農家生まれだったので、保育園はあまり好きではありませんでした。(やすさん)

幼稚園での遠足の時、おこづかいとして持たされた500円玉をさっそく落としてべそをかき、先生にも母にも怒られた記憶が鮮明に残っています泣(まもるさん)

我々の時代はこども園なんてなかったし待機児童も存在しなかったですが今の時代の段階的な無償化もあってもこれでは少子化対策にはならないし奈良に今年夫の転勤で来ましたが下の子はすぐには入園出来ず待機になってしまいました。高市総理には国レベルでもっと抜本的な改革をして欲しいです。(KANTON$さん)

当時の写真はみんな白黒w時代ですね(はつかさん)

子供は、保育所と幼稚園でした。
それぞれの良さを感じました。(えみこさん)

長男は幼稚園の玄関でいつも大泣き、わたしももらい泣きでした。
その子もいまは50才ちかくなりました。(のんちゃんさん)

お寺の幼稚園だったので、お経を言えていました。やはり毎日のように聞くと覚えるんだなと思いました。(あきさん)

保育園に通っていました。組の名前が松組・竹組・梅組でした。今は違うみたいですが。(みゆきさん)

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