道南の厚沢部町は山深い町だ。函館から渡島半島を横切るように西に向かって車で約1時間。海はないが、日本海側の江差町はすぐそこの隣町。人口約3200人、過疎の町の小さなこども園に、全国から一時預かりの希望が絶えない。予約は1年以上先まで埋まっている。いったい何が起きているのか。

道南の厚沢部町は山深い町だ。函館から渡島半島を横切るように西に向かって車で約1時間。海はないが、日本海側の江差町はすぐそこの隣町。人口約3200人、過疎の町の小さなこども園に、全国から一時預かりの希望が絶えない。予約は1年以上先まで埋まっている。いったい何が起きているのか。
厚沢部町認定こども園「はぜる」は、町を見下ろす小高い丘の上にある。芝生の園庭ではこどもたちが元気に走り回っていた。建物には町産の木がふんだんに使われ、「ようこそはぜるへ」と書かれた壁にはその月に受け入れる28人の子どもの名前が並ぶ。その多くは首都圏や関西圏など道外から、「保育園留学」という仕組みを利用してやって来る。家族で1〜2週間町の住宅に滞在し、子どもははぜるに通う。この「保育園留学」を日本で最初に始めたのが、厚沢部町だ。
こども園、保育園、幼稚園。これらがどう違うのか簡単に説明しておこう。どれも小学校に入る前の子どもが通う施設。「幼稚園」は3〜5歳までが対象で教育が中心、管轄は文部科学省。「保育園」は0〜5歳が対象で働く親のための保育が中心、管轄は厚生労働省。「こども園」はその両方を合わせ持つ施設で2006年に制度が始まり、こども家庭庁(内閣府の外局)がまとめ役だ。
厚沢部町の保育園留学のきっかけをつくったのは、株式会社キッチハイクの山本雅也社長だ。
山本さんがかつて住んでいた横浜では娘の保育園探しで毎月のように区役所に電話していた。だが、空きが無く、入園を断られ続けていて、民間の保育所に入れざるを得なかった。
「ひょっとしたら小学校に入るまでずっとこのままじゃないかと思いました」と当時のことを振り返る。
なんとか方法はないものかと、こども園のルールを徹底的に調べているうちに、「一時預かり」という制度に出会った。ふだんは園を利用していない家庭の子どもでも、短期間だけ預けられる仕組みだ。
そして目に留まったのが、仕事で関わりのあった厚沢部町のこども園はぜるの写真だった。広々とした自然環境に心を奪われた。
ひょっとしたら自分の娘も通えるのではないかとひらめき、「3週間通わせてもらえないか」と町にメールを送ったのが2021年の6月。町の担当者との折衝を経て、7月の後半から家族で町の移住体験用住宅に住みながら、子どもをはぜるに通わせることができた。


環境は思った通りのすばらしさだったが、山本さんを心底感動させたのははぜるの先生たちの「本気度」だったという。
「子どもの主体性を大事にしていて、“みんな一斉に同じことをする”という保育ではない。ここなら子どもが伸び伸び育つと思ったんです」と山本さん。
この体験をさらに多くの家族に体験してもらいたいと誕生したのが「保育園留学」だ。
キッチハイクはもともと「料理をつくる人と食べる人をつなぐ」サービスから始まった会社で、山本さん自身、食を通じた人のつながりをテーマに世界47カ国を旅してきた。「人が交わる場をつくる」という発想が、いまや子育てと地域を結ぶ事業へと発展した。
「この先生たちがいなかったら保育園留学はなかった」と山本さんが言うのが、現在同園の2人の主幹保育教諭、橋端純恵さんと西村智香さんだ。
はぜるがオープンしたのは、2019年。それまでに町内に3つあった保育所が統合された。2人とも保育所時代からのスタッフで仕事歴は約30年のベテランだ。老朽化した建物の改築と、園児数の減少を背景に集約が進んだが、民間委託ではなく町直営を選んだ。「自分たちで理想の園を作りたい」との声が職員の中から上がったという。
「以前は安全第一の考えから、決まった時間に同じことをやらせることが多かった。でも、そんな保育でいいのかという迷いが常にありました」と橋端さん。
全国の保育関係者が集う研修会で自由な保育の例に触れ、「これだ!」と衝撃を受けた。
「できないラインを引いてばかり」だった自分たちの保育とは違う世界があることを知り、「目からウロコとはこういうことか。やりたいのはこういうことだった」と2人で確認した。、帰りの車の中では2人とも無言。「あまりの違いに打ちのめされて」、涙が出てきた。見ると隣の西村さんも泣いている。「自分たちがやってこれなかったことが情けなくて、腹が立ったんだと思います」。
「公立では無理だ」「委託した方がいいんじゃないか」と言われていたのを跳ね返して選んだ「自立」の道。
「自分たちで言った手前、責任もある。今度作る園はきっと100年は続く。西村に話したら『世界一の園にしたい』と真顔で言うんです。笑いながら聞いていましたが、こどもの『やってみたい』に全力で寄りそう園にしようと思いました」と橋端さん。

そんな経緯で生まれたはぜるに山本さんが出合ったのがオープン3年目の夏。立ち上げの忙しさも落ち着き、少し余裕も出てきたころ。山本さんからの「保育園留学」打診のメールを、園でスタッフ全員に共有した。職員たちは即答した。「来てくれるなら面白そう!やってみよう」と。
初日は泣いていた留学の子どもたちも、すぐに園になじむ。すると今度は地元の子どもたちに変化が現れた。「川に連れて行こう」「雪山で遊ばせてあげたい」と、町の魅力を伝えようと話し合う姿が増えたという。「交流が生まれるたびに、子どもたちの世界が広がっていくのを感じます」と橋端さんは微笑む。ここでは毎日が「今日は何をしたい?」と子どもたちに問うことから始まるのだ。
2022年4月、厚沢部町とキッチハイクは正式に連携協定を締結。町は留学家族向けの住宅を整備し、現在は専用住宅4棟に、これまであった移住体験用住宅を加え計10戸を用意。いずれも年間を通じて満室状態が続く。2024年度は168家族、268人の子どもが利用し、常に園児の約1割が留学生だという。体験した家族は95%以上が再訪を希望するという。利用料金は大人2人、子ども1人の場合、1週間で保育、宿泊費で約21万円だが、地域によって異なる。
今は町に常駐するキッチハイク社員もいる。山田浩太さん(函館出身)は東京からUターンし、娘をはぜるに通わせる。「廊下を全力で走る姿を見て、ウチの子、こんなに走れる子どもだったんだ、と涙が出るほど感動しました」と語る。山田さんも東京時代は娘が待機児童。通わせていた民間の保育所はコンビニの入る建物の2階だった。
埼玉県在住の富永稔さん、亜希子さん夫妻は6歳と3歳の2人の娘を連れて2回目の参加だ。SNSで見た保育園留学の情報を見て興味を持ったという。初めて訪れたのは2024年の10月。着いた当日は夜で、暗くて寒くて店も閉まっていてびっくりしたが、次第に慣れたという。子どもたちはすぐに園になじみ、「好きなときに水を飲める」「お昼寝が強制ではない」「廊下を走ってもいい」といった自由さに目を輝かせていたと、亜希子さんは話す。
「子どもはたぶん旅行のような感じでいると思います。仕事を休めるのも1週間くらいなので、滞在はそのくらいが上限。家族の時間と子どもの成長を実感できる貴重な時間です」と稔さん。


群馬県から初めて参加した大竹裕太さん、樹里さん一家4人は、下の子の育休を使って2週間滞在。「夏は40度を超えるので、全く外で遊べない群馬と違い、ここは別世界。テレビがないから時間の流れもゆっくり。子どもがYouTubeを見なくなり、身近なもので遊ぶようになりました」と樹里さん。
札幌生まれ東京育ちの遠藤友美さんは保育園留学がきっかけで厚沢部に移住した。保育士の免許があることもあり、現在はキッチハイクの社員としてはぜるで働く。夫の仕事はコロナが収まってからだんだんとリモートワークができなくなり、東京に単身赴任中の二拠点生活だ。体験は2023年の3月。すっかり気に入り、少しでも長くはぜるに通わせたいと6月に移住した。
住んでいた東京都品川区は「コンクリートまみれ」。小学校に入る前から早期教育に躍起になり、生まれてすぐに競争が始まるような周囲に疑問があった。子どもが待機児童だったころは、民間の保育所に月約9万円を払っていたという。子どもは今厚沢部町の小学校2年生だ。
「はぜるのときはいろいろな子どもがいたが、小学校に入ると小さな町なので顔ぶれが固定される。これからはそこがちょっと懸念ですかね」と話す。
「元々おとなしい子だったですが、こちらに来たらけっこうはじけて、自分の主張もするようになった。親子ともども視野が広がる貴重な体験でした」と語る。
厚沢部から始まった保育園留学。道内では、小樽市、清水町、上士幌町、浦河町、月形町、湧別町などで行っている。全国では約60以上の地域に広がり、累計約3000家族、約1万人が参加した。事業の運営会社であるキッチハイクは11月に本社を東京から厚沢部町に移す。
子どもが走り、親が深呼吸し、町の人が見守る。町と家族がともに育つ物語のはじまりだ。
(文・写真:吉村卓也)
小学校に上がる前の子どもが通う施設、最近はこの3つがありますね。
「幼稚園」は3〜5歳まで対象教育が中心、管轄は文部科学省。
「保育園」は0歳〜5歳が対象で働く親のための保育が中心で、管轄は厚生労働省。
「こども園」はその両方を合わせ持つ施設で2006年に制度が始まったそうです。内閣府がまとめ役だそうです。最近は「こども園」を各地でよく聞くようになりましたね。
「待機児童」の問題も聞かれるようになりました。民間の保育所も多いですね。小学校に入る前のお子さんをどこに預けるのかが、切実な問題となっている家庭も多いかと思います。
私は「幼稚園」でした。もちろん遠い昔なので、「こども園」はなかったです。でも通っていたときのこと、不思議と覚えているものですね。園庭のジャングルジムとか、当時の先生とかの顔は目に浮かびます。
遠い昔の思い出、こども園、幼稚園、保育園 に関する思い出、なんでも結構です。ぜひお聞かせください。
※テーマ設定が遅れて申し訳ありませんでした。
「未設定」だったり別のテーマが出てしまったりで混乱させてしまい申し訳ありませんでした!
「未設定」というテーマでの編集部からのクセ球ではありません(笑)。
頭をひねっていただいたみなさま、大変申し訳ありませんでした。こちらのポカミスでした。大変失礼いたしました!
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