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特集Vol.257

豆から板へ 北海道発のチョコレート

公開:2026年1月19日

チョコレート――。その言葉から連想するのは、幼い頃から慣れ親しんだ大手菓子メーカーのチョコレート、あるいは有名ショコラティエが作る高級チョコかもしれない。いずれにしても私たちは、この褐色のほろ苦く甘いスイーツが大好きだ。

特集「豆から板へ 北海道発のチョコレート」の表紙の写真です
札幌の中心部、創成川東地区にある「SATURDAYS CHOCOLATE」本店。 チョコレートと同じく、空間やパッケージデザインにも物語がある。

カカオから始まる、北海道のチョコレート

 チョコレート――。その言葉から連想するのは、幼い頃から慣れ親しんだ大手菓子メーカーのチョコレート、あるいは有名ショコラティエが作る高級チョコかもしれない。いずれにしても私たちは、この褐色のほろ苦く甘いスイーツが大好きだ。

 そんなチョコレートの世界に、新たなムーブメントが起きている。「Bean To Bar(ビーントゥバー)」と呼ばれる取り組みだ。それはカカオ豆(Bean)から板チョコレート(Bar)になるまでの全行程を、手作りするスタイルのこと。

 国内でも近年、ビーントゥバーの工房兼ショップが増えつつあるという。なぜ彼らは、効率的な大量生産の道を選ばず、小さな規模(スモールバッチ)で板チョコを作り続けるのだろうか。まだ北海道では数少ないビーントゥバーのチョコレートを作るクラフトマンのもとを訪ねてみた。

モノづくりが高じて

 最初に訪れたのは、札幌の大通地区にある「SATURDAYS CHOCOLATE」本店。店舗は静かな仲通りに面している。白いタイルの壁と格子状の黒い窓枠、そしてエントランスには樹木の鉢が置かれ、洒落たカフェのようだ。

 迎えてくれたのは、創業者の秋元力さん。北海道のビーントゥバーの先駆けの一人である。「もともとモノづくりが好きで、東京でインテリア関連の仕事をしていたんです。30代になって独立しようと考えていたのですが、実家の家業が忙しくなって手伝うことになり札幌に戻ってきました」と秋元さん。

 家業を継いで25年ほど経ったころ、秋元さんのモノづくりの虫が騒ぎだす。 「最初はお菓子を作ろうと考えたんですが、すでに道内発の会社がたくさんある。その頃、アメリカではコーヒーやビール、ジンなどスモールバッチブランドのムーブメントが起きていました。そんななか、サンフランシスコやニューヨークで、カカオ豆からチョコレートを作っている若者たちのことを知りました」。

 興味を抱いた秋元さんだったが、国内にはビーントゥバーについての情報がほとんどなかった。そこで思い切って渡米。本場のショップや工房を見学したことで、札幌の地でチョコレート作りを始める決意を固めた。

 「現地では小規模ゆえに、さまざまな工夫をしてチョコレートを作っていました。たとえば、カカオ豆をすりつぶす機械は、インドの香辛料用器具を代用するなど、身の回りにあるものからアイデアを引き出していた。そうしたスタイルがとても魅力だったし、それなら自分でもできるんじゃないか。そして札幌から世界に通用するチョコレートを作ろうと思ったんです」。

 しかし、そこから製品化に至るまでには、約1年の歳月を費やすことになる。

岡野さんらスタッフ
受賞を喜ぶウガンダの岡野さんらスタッフ(写真提供SATURDAYS)
秋元力さん
土曜日に感じるワクワク感を店名にしたという秋元力さん。


チョコレートが出来るまで

 カカオ豆からチョコレートを作るためには、大きく分けると10の工程がある。

 ①カカオの実から豆を取り出す。②豆を発酵・乾燥させる。③異物や不良豆を取り除く。④焙煎。⑤粉砕。⑥種皮とニブ(胚乳)を分ける。⑦ニブをペースト状にする。⑧コンチング(砂糖などを加えて練り上げる)。⑨テンパリング(調温)。⑩成型後にパッケージして完成だ。

 「ゼロからのスタートなので、まずはカカオ豆を輸入できるのか?からの手さぐりでした」。そのため秋元さんは、輸入業者と一緒に現地に行き、コーヒーや香料の視察を重ねるなかで、カカオ農家とのつながりを築いていった。

 「世界には小規模ながら良質なカカオ豆を生産する農家があり、正当な価格で取引を続けることで品質が保たれます。たとえば、北海道教育大学出身の岡野あさみさんが、ウガンダで雇用創出するために立ち上げた『ファーム・オブ・アフリカ』も、そうした中で知り合ったパートナーです。現地で良い仕事をしている事業者を応援したいし、一緒においしいチョコレートを作っていきたい」と秋元さんは話す。

 カカオ豆は、こうした生産者の元で発酵・乾燥を施され、日本へ輸入される。

世界大会で受賞

 「カカオ豆の味は、品種や産地、土壌環境などによって大きく違ってきますし、季節や気温でも変わります。豆の個性を尊重するために試行錯誤しました。テンパリングは繊細な作業なので、最初は10枚のうち商品になるのは5枚くらいでした」と秋元さんは当時を振り返り、懐かしそうに笑う。

 こうした試行錯誤の末、ついに2015年春、「SATURDAYS CHOCOLATE」がオープンした。パッケージや店内のデザインも秋元さんが手がけ、どれも楽しくて夢がある。「世界基準の付加価値を付けるためにはデザインも大切。デザインは文化でもあるんです」と秋元さん。

 世界のビーントゥバーを視野に、札幌から始まった秋元さんの夢は、創業9年目に結実した。「インターナショナル・チョコレート・アワード2024」で、「ファーム・オブ・アフリカ」のカカオとバニラビーンズを使ったチョコレートや、十勝産のきなこや佐呂間町のかぼちゃ、剣淵町のキヌアを加えたチョコレートが高く評価され、受賞したのだ。

 「賞は、岡野さんら現地の方々や道内生産者と一緒に取ったものです。これからも、北海道に根差したビーントゥバーブランドとして世界に発信していきたいですね」と秋元さんは先を見据える。

十勝岳を望むWolves tracks small batch chocolate の上富良野の工房。

この場所で生まれる至高の一枚

上富良野で”本物”にこだわる

 「僕たち日本人は、チョコレートの長い歴史からみればまだ赤ん坊のようなもの。チョコレートのことをもっと知ってほしい」。そう語るのは、上富良野で工房兼ショップ「Wolves tracks small batch chocolate(ウルブズトラックス)」を営む土村尚貴さんだ。

 土村さんが言うように、カカオの栽培はメキシコなど中米で、少なくとも紀元前2000年頃には始まっていたと言われる。

 「マヤ時代にはすりつぶしたカカオ豆を水に溶き、薬として飲んでいたようです。その価値は高価で、黄金の代わりに貨幣として用いられるほどだったんです」と土村さん。

 今日のように世界中にチョコレートが広まったのは、16世紀にスペイン人がカカオをヨーロッパに持ちこんでからのこと。その後、原産地でのプランテーション化が進み、今日のカカオ産業へとつながった。

 「チョコレートが戦後の日本にも大量に入ってきたのも、この流れの中にあったといえます。でも本来、カカオは稀少で特別なものだったんです。そうした原点を忘れず、その価値を最大限に生かしたチョコレートを作りたい」と土村さんは熱く語る。

 そんな土村さんが創作の地に選んだのは、故郷の旭川市内から45キロほど離れた上富良野町。

 「前職は航空自衛隊で戦闘機の整備をしていました。しかし、いつか自立したいという願望があり、当時の勤務地だった沖縄で事業を始めようと早期退職したんです。しかし、一緒に働いてくれる良い人材が集まらず計画は白紙に。ちょうどその頃、ある本でチョコレートの歴史を知り、自分の手で本物のチョコレートを作りたいと思ったことがきっかけでした」

手作業で成型されるチョコレート
一枚一枚、手作業で成型されるチョコレート。豆の個性が、そのまま味になる
店主・土村尚貴さ
Wolves tracks small batch chocolate 店主・土村尚貴さん

カカオを活かす丁寧な仕事

 異色の経歴を持つ土村さんらしく、ウルブズトラックスがある場所も型破りだ。周囲を田んぼに囲まれた農道沿いの土地に、自らログハウスを建てて店舗にしたのだ。オープンは2019年7月。背景にそびえる十勝連峰とオオカミの足跡をかたどった大きな看板が目印である。

 広大な風景にマッチしたナチュラル感あふれる店舗だが、土村さんにとって重要なのは、ここが“本物を作る”ための作業場であることだ。

 カカオは東南アジアを中心に、ブラジルやマダガスカルなどで有機栽培の生産者と直接つながり、公正な価格で仕入れている。

 「送られてきた豆は、手作業で一粒一粒皮を剥いているんです。さらに、一粒の中にある胚も雑味になるので、できるだけ取り除いています」と土村さん。何万粒というカカオ豆を相手に、どれほどの時間を費やしているのだろうか。

 「チョコレートができあがるまで、約2カ月はかかりますね。でも作業を丁寧に行うことで、よりカカオの風味を生かすことができます。たった一人でやっているから、できることかもしれませんが」と笑う土村さん。

 カカオに加えるのは、基本的に沖縄・多良間島の黒糖かインドネシアのココナッツシュガーのみ。その理由は、「カカオ豆自体がとてもおいしいから」。そう言ってカカオ豆を一粒食べさせてくれた。なるほど、清々しい香ばしさとともに、苦味や酸味など複雑な味わいが口の中に広がった。

 最近は、地元産の無農薬ワインなどを使って、新たな可能性にもチャレンジしている土村さん。ただ残念なことに、ウルブズトラックスのチョコレートは、この地に来なければ手に入れることはできない。

 「店舗以外に取扱店を拡大していこうと思っても、チョコレートは数多く作れない。それに何かが失われる気がするんです。それでも、わざわざここまで足を運んでくれる方がいます。先ほども海外の方がいらっしゃっていたんですよ」と土村さん。

 北海道の真ん中にぽつんと立つ小さな工房で、遙か昔の高貴なチョコレートを夢見て、真摯においしさを追求する土村さん。そして、北海道発のビーントゥバーを世界へと発信していこうとする、秋元さんのようなクラフトマンもいる。

 「みんながハッピーになれるチョコレート作りを目指している」と話す秋元さん。みんなとは、生産者、作り手、そしてそれを味わう私たちのこと。クラフトマンのカカオ愛が練り込まれたビーントゥバーの豊かな世界をぜひ体験してほしい。

(文:井上美香 写真:吉村卓也)

※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください

ここからは特集に関連して会員の皆さんからよせられたコメントをご紹介します。

投稿テーマ『チョコレート』

チョコレートといえばもうすぐバレンタインデーですね。
でもいつからそんなことになったのか?私は聞いてないぞ!(笑)
さて、チョコレートといえば、「ギブミー・チョコレート」。これは進駐軍を知っている世代なのでちょっと古い。
私にとっては子どものときのじゃんけん遊びの「チ・ヨ・コ・レー・ト」!
じゃんけんをしてチョキで勝ったら5歩進め、パーで勝ったら「パ・イ・ナ・ツ・プ・ル」で6歩、グーで勝ったら「グリコ」で3歩進めました。これって全国的?
バレンタインでチョコレートを贈るのが始まったのは1970年代らしいですが、大人になって職場で義理チョコをもらうまで、そんなドキドキには無縁でした。
とはいうものの、私はチョコレート大好きです!
みなさんのチョコレートにまつわる思い出、どうぞお聞かせください!

義理チョコが嬉しいです!

2026年は、本命チョコを貰いたいです!(しんやさん)

初めてのバレンタインデーのチョコは、好きな子に渡せなくて、父親にもらわれていきました。父親はめっちゃ喜んでましたけど、自分は複雑だったなぁ。(うっきーさん)

バレンタインデーに勇気を出して好きな人にチョコを渡した物の緊張しすぎて「これ毒入りじゃないから!」と口走ってしまった苦い思い出があります。相手は苦笑いしていましたが、その後、無事にホワイトデーで、お返しを貰い、それが今の彼氏との初々しい記憶です。今でもチョコレートを食べる度に、あの時の甘酸っぱい緊張感と少し恥ずかしい失敗を思い出して彼氏と笑い合っています。(ゆきだるまさん)

小学生の頃、初めてバレンタインに、好きな子にあげようと、手作りチョコレートを作ろうとお友達と作っていたが、作り方が、よくわからなかった2人で、チョコを湯煎で溶かすが知らなくて、鍋にチョコを入れてサラダ油を入れてしまい、ただ分離したチョコになってしまい、どうして良いかわからず、捨てました!笑
結局、好きな子には、渡せず、手作りチョコレートは、あれから作ってないです笑
48歳になりますけど笑(ともみさん)

昔も今も子供の味方チロルチョコ!100円もらって駄菓子屋に買いに行ってたなー。(よつしーさん)

甘い物が少し苦手です。できれば、せんべい派なので。(ひとみさん)

二人きりになったとき持ってなくてカバンを手探りで教室を去った。

弟に双子の姉妹の妹がチョコとマフラーを届けに家にきた。チョコを取り合いマフラーも恥ずかしくて出来なかったみたい。好きだった(ともえさん)

バレンタインにはほとんど縁がなかった(ササさん)

子どもと行ったロイズの工場が意外と楽しかったです。(ゆうさん)

小学校のころ友達と家に集まってバレンタインのチョコを作りました。チョコを溶かして型に入れて固めてつくるチョコレート菓子です。冷蔵庫で冷やす代わりに、ベランダに積もった雪の中でチョコを冷やし固めていました。しばらくしてみるといくつかチョコがなくなっていました。よく見ると近くには猫の足跡があり、野良猫に食べられてしまったようで驚いたのを覚えています。(はなよさん)

もらうのはいつも義理チョコばかり、わびしいよね。チョコレートはもともと好きでないからと、やせ我慢していました。(あつろうさん)

子どものときのじゃんけん遊びの「チ・ヨ・コ・レー・ト」!
じゃんけんをしてチョキで勝ったら5歩進め、パーで勝ったら「パ・イ・ナ・ツ・プ・ル」で6歩、グーで勝ったら「グリコ」で3歩進めるのは、青森県でも行っていました(tetsu-036さん)

小学校の時、担任の男性の先生がバレンタインの手作りチョコは絶対に送らないで下さいと全員の前で言った事がありました。その先生は他人の手作りした食べ物を食べれないタイプで…そう断っても生徒からもらってしまい捨てれなく、机の引き出しに溜まっているそうです!(あんこ大好きさん)

娘がチョコレートのスィーツ作りに夢中!
でも温度が難しいようです
手作りチョコレートは美味しい!(ちゃめさん)

70年代、バレンタインのチョコと言えば「不二家ハートチョコレート」テレビCMと山下達郎の♪恋はハート〜の歌声は今も鮮明に覚えています!奥手で誰にも渡せず自分で食べてたけれど(笑)(みかさん)

子供の頃チョコレートを食べすぎて鼻血が出た(ジョージさん)

初めて夫から貰ったチョコの味が忘れられない(せいこさん)

仲睦まじいご夫婦、素敵ですね(H)

チョコレートは甘苦い。でも甘いだけのチョコレートでは物足りない。より美味しく食べるには、苦味もまた必要なのかもしれない。特に大人には。そう考えれば、今までのたくさんの苦い思い出も良かったのかもしれない。古希を迎え、そう思えるようになって来ました。(ヒロペンさん)

私が小学生の頃に友人と一緒に担任の先生にチョコレートを渡したところ、先生のお家に招待してくれました。とても優しい先生の奥さんがケーキとお茶を振舞ってくれました。先生からはペンセットのプレゼントまでいただいて、とてもいい思い出になりました。(うさぴょんさん)

貧乏でガーナチョコレートがごちそうだった!(みきさん)

ビターをたまに食べる。口の中がすっきり。(やすひろさん)

1952(昭和27)年、群馬県生まれですが、チ・ヨ・コ・レー・ト、パ・イ・ナ・ツ・プ・ル、やりましたよ。小学校低学年の学校の帰り道の定番の遊びでした。 全国的かどうかわかりません。わかったら教えてください!(ふかちゃんさん)

誕生日が2月15日で、バレンタインデーの翌日なので、両方で一つのプレゼントしかもらえないのです。いつも損をした気持ちになります。(ゆひかさん)

昭和40年代には既にバレンタインはありました、私も送りました
思い出はその時ではなく、平成の娘になってから
毎年毎年、チョコ作りをを夜中まで手伝ってました
翌日は、疲れて眠くて大変でした(べんこさん)

子供の頃からチョコ好きで、還暦過ぎても変わりません!(まさひろさん)

ロイズの生チョコ
毎年のバレンタインデイに
妻からもらってます
ありがとうございます(str777さん)

高校1のバレンタインデーの放課後に同じクラスの好きな男子の机にチョコレート入れた。私が部活に戻る途中の階段で好きな男子が隣のクラスの女子からチョコレートを受け取っていた。慌てて教室に戻って彼の机からチョコレートを取り出した。勇気がなく告白できなかった。クラス会があれば彼にチョコレートの話ししたいと思っているけどまだ、その機会はないんですよね。(こまちさん)

チョコレート 渡した数ほど 戻らない(Ksさん)

長男が5歳の時外食していた時にデザートでウイスキーボンボンが出てきて、知らずに食べてしまいウエートレスさんに饒舌に話しかけていたことを思い出します。(てっちゃんさん)

中学生の時に、何故か周りに勧められるように付き合い始めた人がいて、バレンタインデーにも送りなさいよと友達に言われ、その人の教室の机に入れました。後で友達に聞いたら、彼女に貰ったと友達に話してたそうです。一緒に映画に行ったけど、ほんとはクラスメートの好きな人も誘い、その人の思いを伝えるためでした。ほんとに好きだったのかな…彼を…(アトムさん)

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