チョコレート――。その言葉から連想するのは、幼い頃から慣れ親しんだ大手菓子メーカーのチョコレート、あるいは有名ショコラティエが作る高級チョコかもしれない。いずれにしても私たちは、この褐色のほろ苦く甘いスイーツが大好きだ。

チョコレート――。その言葉から連想するのは、幼い頃から慣れ親しんだ大手菓子メーカーのチョコレート、あるいは有名ショコラティエが作る高級チョコかもしれない。いずれにしても私たちは、この褐色のほろ苦く甘いスイーツが大好きだ。
そんなチョコレートの世界に、新たなムーブメントが起きている。「Bean To Bar(ビーントゥバー)」と呼ばれる取り組みだ。それはカカオ豆(Bean)から板チョコレート(Bar)になるまでの全行程を、手作りするスタイルのこと。
国内でも近年、ビーントゥバーの工房兼ショップが増えつつあるという。なぜ彼らは、効率的な大量生産の道を選ばず、小さな規模(スモールバッチ)で板チョコを作り続けるのだろうか。まだ北海道では数少ないビーントゥバーのチョコレートを作るクラフトマンのもとを訪ねてみた。
最初に訪れたのは、札幌の大通地区にある「SATURDAYS CHOCOLATE」本店。店舗は静かな仲通りに面している。白いタイルの壁と格子状の黒い窓枠、そしてエントランスには樹木の鉢が置かれ、洒落たカフェのようだ。
迎えてくれたのは、創業者の秋元力さん。北海道のビーントゥバーの先駆けの一人である。「もともとモノづくりが好きで、東京でインテリア関連の仕事をしていたんです。30代になって独立しようと考えていたのですが、実家の家業が忙しくなって手伝うことになり札幌に戻ってきました」と秋元さん。
家業を継いで25年ほど経ったころ、秋元さんのモノづくりの虫が騒ぎだす。 「最初はお菓子を作ろうと考えたんですが、すでに道内発の会社がたくさんある。その頃、アメリカではコーヒーやビール、ジンなどスモールバッチブランドのムーブメントが起きていました。そんななか、サンフランシスコやニューヨークで、カカオ豆からチョコレートを作っている若者たちのことを知りました」。
興味を抱いた秋元さんだったが、国内にはビーントゥバーについての情報がほとんどなかった。そこで思い切って渡米。本場のショップや工房を見学したことで、札幌の地でチョコレート作りを始める決意を固めた。
「現地では小規模ゆえに、さまざまな工夫をしてチョコレートを作っていました。たとえば、カカオ豆をすりつぶす機械は、インドの香辛料用器具を代用するなど、身の回りにあるものからアイデアを引き出していた。そうしたスタイルがとても魅力だったし、それなら自分でもできるんじゃないか。そして札幌から世界に通用するチョコレートを作ろうと思ったんです」。
しかし、そこから製品化に至るまでには、約1年の歳月を費やすことになる。


カカオ豆からチョコレートを作るためには、大きく分けると10の工程がある。
①カカオの実から豆を取り出す。②豆を発酵・乾燥させる。③異物や不良豆を取り除く。④焙煎。⑤粉砕。⑥種皮とニブ(胚乳)を分ける。⑦ニブをペースト状にする。⑧コンチング(砂糖などを加えて練り上げる)。⑨テンパリング(調温)。⑩成型後にパッケージして完成だ。
「ゼロからのスタートなので、まずはカカオ豆を輸入できるのか?からの手さぐりでした」。そのため秋元さんは、輸入業者と一緒に現地に行き、コーヒーや香料の視察を重ねるなかで、カカオ農家とのつながりを築いていった。
「世界には小規模ながら良質なカカオ豆を生産する農家があり、正当な価格で取引を続けることで品質が保たれます。たとえば、北海道教育大学出身の岡野あさみさんが、ウガンダで雇用創出するために立ち上げた『ファーム・オブ・アフリカ』も、そうした中で知り合ったパートナーです。現地で良い仕事をしている事業者を応援したいし、一緒においしいチョコレートを作っていきたい」と秋元さんは話す。
カカオ豆は、こうした生産者の元で発酵・乾燥を施され、日本へ輸入される。
「カカオ豆の味は、品種や産地、土壌環境などによって大きく違ってきますし、季節や気温でも変わります。豆の個性を尊重するために試行錯誤しました。テンパリングは繊細な作業なので、最初は10枚のうち商品になるのは5枚くらいでした」と秋元さんは当時を振り返り、懐かしそうに笑う。
こうした試行錯誤の末、ついに2015年春、「SATURDAYS CHOCOLATE」がオープンした。パッケージや店内のデザインも秋元さんが手がけ、どれも楽しくて夢がある。「世界基準の付加価値を付けるためにはデザインも大切。デザインは文化でもあるんです」と秋元さん。
世界のビーントゥバーを視野に、札幌から始まった秋元さんの夢は、創業9年目に結実した。「インターナショナル・チョコレート・アワード2024」で、「ファーム・オブ・アフリカ」のカカオとバニラビーンズを使ったチョコレートや、十勝産のきなこや佐呂間町のかぼちゃ、剣淵町のキヌアを加えたチョコレートが高く評価され、受賞したのだ。
「賞は、岡野さんら現地の方々や道内生産者と一緒に取ったものです。これからも、北海道に根差したビーントゥバーブランドとして世界に発信していきたいですね」と秋元さんは先を見据える。

「僕たち日本人は、チョコレートの長い歴史からみればまだ赤ん坊のようなもの。チョコレートのことをもっと知ってほしい」。そう語るのは、上富良野で工房兼ショップ「Wolves tracks small batch chocolate(ウルブズトラックス)」を営む土村尚貴さんだ。
土村さんが言うように、カカオの栽培はメキシコなど中米で、少なくとも紀元前2000年頃には始まっていたと言われる。
「マヤ時代にはすりつぶしたカカオ豆を水に溶き、薬として飲んでいたようです。その価値は高価で、黄金の代わりに貨幣として用いられるほどだったんです」と土村さん。
今日のように世界中にチョコレートが広まったのは、16世紀にスペイン人がカカオをヨーロッパに持ちこんでからのこと。その後、原産地でのプランテーション化が進み、今日のカカオ産業へとつながった。
「チョコレートが戦後の日本にも大量に入ってきたのも、この流れの中にあったといえます。でも本来、カカオは稀少で特別なものだったんです。そうした原点を忘れず、その価値を最大限に生かしたチョコレートを作りたい」と土村さんは熱く語る。
そんな土村さんが創作の地に選んだのは、故郷の旭川市内から45キロほど離れた上富良野町。
「前職は航空自衛隊で戦闘機の整備をしていました。しかし、いつか自立したいという願望があり、当時の勤務地だった沖縄で事業を始めようと早期退職したんです。しかし、一緒に働いてくれる良い人材が集まらず計画は白紙に。ちょうどその頃、ある本でチョコレートの歴史を知り、自分の手で本物のチョコレートを作りたいと思ったことがきっかけでした」


異色の経歴を持つ土村さんらしく、ウルブズトラックスがある場所も型破りだ。周囲を田んぼに囲まれた農道沿いの土地に、自らログハウスを建てて店舗にしたのだ。オープンは2019年7月。背景にそびえる十勝連峰とオオカミの足跡をかたどった大きな看板が目印である。
広大な風景にマッチしたナチュラル感あふれる店舗だが、土村さんにとって重要なのは、ここが“本物を作る”ための作業場であることだ。
カカオは東南アジアを中心に、ブラジルやマダガスカルなどで有機栽培の生産者と直接つながり、公正な価格で仕入れている。
「送られてきた豆は、手作業で一粒一粒皮を剥いているんです。さらに、一粒の中にある胚も雑味になるので、できるだけ取り除いています」と土村さん。何万粒というカカオ豆を相手に、どれほどの時間を費やしているのだろうか。
「チョコレートができあがるまで、約2カ月はかかりますね。でも作業を丁寧に行うことで、よりカカオの風味を生かすことができます。たった一人でやっているから、できることかもしれませんが」と笑う土村さん。
カカオに加えるのは、基本的に沖縄・多良間島の黒糖かインドネシアのココナッツシュガーのみ。その理由は、「カカオ豆自体がとてもおいしいから」。そう言ってカカオ豆を一粒食べさせてくれた。なるほど、清々しい香ばしさとともに、苦味や酸味など複雑な味わいが口の中に広がった。
最近は、地元産の無農薬ワインなどを使って、新たな可能性にもチャレンジしている土村さん。ただ残念なことに、ウルブズトラックスのチョコレートは、この地に来なければ手に入れることはできない。
「店舗以外に取扱店を拡大していこうと思っても、チョコレートは数多く作れない。それに何かが失われる気がするんです。それでも、わざわざここまで足を運んでくれる方がいます。先ほども海外の方がいらっしゃっていたんですよ」と土村さん。
北海道の真ん中にぽつんと立つ小さな工房で、遙か昔の高貴なチョコレートを夢見て、真摯においしさを追求する土村さん。そして、北海道発のビーントゥバーを世界へと発信していこうとする、秋元さんのようなクラフトマンもいる。
「みんながハッピーになれるチョコレート作りを目指している」と話す秋元さん。みんなとは、生産者、作り手、そしてそれを味わう私たちのこと。クラフトマンのカカオ愛が練り込まれたビーントゥバーの豊かな世界をぜひ体験してほしい。
(文:井上美香 写真:吉村卓也)
チョコレートといえばもうすぐバレンタインデーですね。
でもいつからそんなことになったのか?私は聞いてないぞ!(笑)
さて、チョコレートといえば、「ギブミー・チョコレート」。これは進駐軍を知っている世代なのでちょっと古い。
私にとっては子どものときのじゃんけん遊びの「チ・ヨ・コ・レー・ト」!
じゃんけんをしてチョキで勝ったら5歩進め、パーで勝ったら「パ・イ・ナ・ツ・プ・ル」で6歩、グーで勝ったら「グリコ」で3歩進めました。これって全国的?
バレンタインでチョコレートを贈るのが始まったのは1970年代らしいですが、大人になって職場で義理チョコをもらうまで、そんなドキドキには無縁でした。
とはいうものの、私はチョコレート大好きです!
みなさんのチョコレートにまつわる思い出、どうぞお聞かせください!
仲睦まじいご夫婦、素敵ですね(H)
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