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春を迎え、北海道もプロスポーツがシーズン真っ盛り。道内初のプロスポーツクラブとして1996年に誕生したのが、サッカーJ2の「北海道コンサドーレ札幌」だ(以下、「コンサドーレ」)。今年4月にクラブ創設30周年を迎えたコンサドーレの歩みを、草創期から見守ってきた人々の目を通して、地域に根差すプロスポーツクラブと市民のつながりを探ってみた。

春を迎え、北海道もプロスポーツがシーズン真っ盛り。道内初のプロスポーツクラブとして1996年に誕生したのが、サッカーJ2の「北海道コンサドーレ札幌」だ(以下、「コンサドーレ」)。
今年4月にクラブ創設30周年を迎えたコンサドーレの歩みを、草創期から見守ってきた人々の目を通して、地域に根差すプロスポーツクラブと市民のつながりを探ってみた。
コンサドーレの創設時から現在まで、クラブの活躍をファインダー越しに追い続けてきたカメラマンがいる。それも元朝日新聞カメラマンと耳にした。その姿を求めて2月28日、ホーム開幕戦が行われる大和ハウスプレミストドーム(札幌ドーム)を訪れた。
試合が始まるとフィールドの横では、カメラマンたちが選手の動きを追い始める。その中に、大きな望遠レンズをつけたカメラを手にする白髪のカメラマンがいた。この人こそ、この春で御年85歳を迎えた石井一弘さんである。石井さんは現在、「北海道サッカー情報紙 北のサッカーアンビシャス」のカメラマンとして、札幌でのホームゲームを中心に撮影を担当している。
サッカーの魅力は、攻守が一瞬で入れ替わるスピード感にある。それだけに、選手のプレーも瞬間的な動きが多く、シャッターチャンスは限られる。数少ない好機を捉えようと、試合中の石井さんは3台のカメラを使い分け、片時も休むことなくシャッターを切り続ける。85歳という年齢を感じさせない、ベテランならではの動きだ。
そんな石井さんとコンサドーレの出会いは、朝日新聞北海道支社で報道カメラマンを務めていた時のこと。大きな話題を呼んだ1996年のクラブ設立時、記者会見の段階から取材に関わり、その後は試合の撮影も手掛けるようになった。
中学校時代は卓球にのめり込み、指導者を目指したこともある石井さんだけに、スポーツの撮影は苦にならなかった。「新聞社に入って最初に使われた写真が、1964年5月の王貞治選手4打席連続ホームランでした」と懐かしむ。1972年に西ドイツ(当時)で開催されたミュンヘンオリンピックに派遣され、そこで発生したテロ事件の写真をものにするなど、報道カメラマンとしても多くの実績を積んできた。
では、東京生まれの石井さんと北海道との縁は、いつ生まれたのだろうか。それは、日本大学芸術学部写真学科に入学した年、親友と北海道一周旅行をしたことがきっかけだった。根室での漁船拿捕のニュースを耳にしていた石井さんは、その旅で立ち寄った根室の地で、卒業制作の作品を撮ることを心に決める。
その年の冬休みから、根室に住む先輩を頼って渡道。以来、休みごとに滞在し、計100日ほどかけてコンブ漁民の生活を追った。4年生の時、日ソ民間協定の締結で安全なコンブ漁が実現すると、現地に赴き、喜びに沸く6月の出漁風景を撮影して卒業制作を飾っている。
大学卒業後は朝日新聞東京本社写真部に入り、報道写真一筋で過ごすが、入社から27年後の1991年、念願かなって北海道支社へ異動。2001年の定年退職後は、北海道で暮らしながら前出「北のサッカーアンビシャス」の編集委員兼カメラマンとして、コンサドーレの変遷を30年にわたり見つめ続けてきた。
「コンサドーレが誕生した当時とプロスポーツ全盛の今を比べると、まさに隔世の感があります。コンサドーレの場合、サポーターが定着するとともに、ユースチームで育った選手がトップチームに昇格するようになり、地元に根付いたサッカークラブに成長したと感じています」と感慨深げに話す。
試合がハーフタイムに入ると、石井さんは日本サッカー初のオフィシャルダンスドリルチームである「コンサドールズ」のコーチや、マスコットキャラクターのドーレくんなど、顔なじみのスタッフと親しげに挨拶を交わす。
また、必ずキックオフ2時間前に会場へ入るのは、試合前に披露されるコンサドールズのダンスを撮影するためだ。「北のサッカーアンビシャス」では、試合結果とともに紹介するようにしている。「このダンスチームから巣立って、海外で活躍している子もいるんですよ」と顔をほころばせる石井さん。そのまなざしは、選手だけでなくクラブを支える裏方のスタッフにも向けられている。
試合が終わると、石井さんはその足でサポーターの集まるドーム近くの居酒屋へ。顔なじみの仲間たちと酒を酌み交わしながら、コンサドーレや試合のことをざっくばらんに語り合う。その表情は、試合中とは打って変わり穏やかだった。
「最近は決定的瞬間を撮り損なうようになった」とこぼす石井さんだが、「写真を撮ることを生きがいにしてきたから、ここまで現役を続けられたのでしょう」と話す柔和な表情が印象に残った。
次に、小学生の頃からコンサドーレのファンで、今も熱狂的なサポーターという記者が、またしても朝日新聞社にいた。コンサドーレ創設の1年前に札幌で生まれた大瀧哲彰さん。現北海道報道センター所属の記者だ。兄の影響で小学校2年生からサッカーを始め、母親にせがんでコンサドーレの試合や練習をよく見に行っていた。「練習が終わった後、選手と一緒に写真を撮ってもらったものです」と大瀧さん。当時、正ゴールキーパーだった佐藤洋平選手に憧れ、自身もキーパーになったほどだ。

高校から大学にかけてブランクはあったものの、関西に転勤してからサッカー観戦を再開。そんな時、コンサドーレのアウェー戦を観た大瀧さんは、北海道から遠征してきたサポーターたちが歌う応援歌を久しぶりに耳にした。「小学生の頃によく聞いた歌を本州で聞いて、胸が熱くなりました。その時、サポーター魂に再び火がついたんです」。
コンサドーレを応援することで、道産子である自らのアイデンティティーを再確認した大瀧さん。昨シーズンはほとんどのアウェー戦を観戦し、「会場でユニフォームを着ると身が引き締まるんです」と笑う。そして昨秋、札幌に異動となり、9年ぶりに故郷へ帰ってきた。
「北海道に戻り、初めてコンサドーレの試合や選手を取材できて感慨深かったですね」。今は週末に兄家族と一緒にサッカー観戦するのを楽しみにしている。
「サッカーに熱中していた小学校時代、同い年でずば抜けて上手いと評判だったのが、コンサドーレのトップチームで活躍した深井一希選手です。現在はユースチームのコーチを務めています」と大瀧さん。デビューから引退までコンサドーレで過ごした深井さんをはじめ、ユースから育つ生え抜きの道産子選手が多いことも、クラブの大きな魅力となっている。

最後にお会いしたのは、埼玉県出身の梶原広美さん。1995年11月、会社員だった夫の転勤で、梶原さんは札幌へ転居した。「スキーを滑りに北海道へ来たことはありましたが、暮らしてみるとあまりにも寒くて……。しばらくは自宅に引きこもっていました」。そんな時、北海道に誕生するプロサッカークラブが愛称を公募しているとテレビで知った。
当時はJリーグが大人気で、本州ではサッカー観戦がブーム。お気に入りのクラブは鹿島アントラーズで、のちにコンサドーレに在籍することになるアルシンド選手のファンだった梶原さんは、よく試合を観に行っていた。ところが札幌に来てみると、地元にJリーグ昇格を目指すクラブが誕生するというのに、盛り上がりはあまり感じられなかった。
「神奈川県に住んでいた時、地元のベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)がJリーグに昇格して、市民がものすごく喜んでいたんです。それに比べて、札幌は意外に冷めているなあと感じたことを覚えています」。
少しでも盛り上げたいとの思いと、外に出かけるきっかけが欲しかった梶原さんは、愛称の応募を決意。地域の特色を盛り込もうと、北海道のことを知るために図書館へ足を運んだ。そこで北海道特有の動物などを調べ、さまざまな外国語に置き換えて候補を絞り込んでいった。
「その頃、Jリーグのクラブは市町村単位での登録だったので、あくまでも札幌市のクラブでした。でも、北海道のクラブでもあるよねと考えて、“道産子”もキーワードに選んだんです」。さらに、友人に教えられた逆ネーミング(逆さ言葉)の発想をヒントに、「道産子」をひっくり返し、そこに明るいラテン系のイメージがある“オーレ”をつけるアイデアがひらめいた。
そして、2700通余りの応募作から選ばれたのが、梶原さんの「コンサドーレ」だった。外国語をアレンジしたクラブ名が主流の中、梶原さんの案は日本語をベースにしたオリジナリティーがあり、言葉の響きも良かった。最終候補には「アンビシャス」なども残ったが、メインスポンサー石屋製菓の石水勲社長(当時)が「これが一押しでした」と話したように、関係者からも高い支持を得たようだ。

当初は関東圏に戻ることも考えていた梶原さんだが、「札幌の暮らしやすさがわかったことと、週末はコンサドーレを応援することが決まったことは、私の人生にとって大きな出来事でした」と語り、札幌に骨を埋める覚悟を決めたという。その後、試合会場でサポーターが愛称を連呼するのを耳にした時は、胸がじーんと熱くなったそうだ。
今もシーズンシートを確保し、ホームゲームの観戦を欠かさない梶原さんは、クラブの運営を支える市民株主の一人でもある。「全国規模の大企業がバックにいるわけではないので、クラブを支えるサポーターの存在は、スポーツ文化に対する地域の意識の高さを示すと思います。地元のクラブを一生懸命応援する喜びを持つか持たないかで、人生は大きく変わります。私もその一人なんです」。
かかわり方は人それぞれだが、地域に溶け込むプロスポーツの存在は、そこで暮らす人々に誇りと喜びを与えてくれる。札幌、そして北海道にその熱気を運んでくれたコンサドーレの30周年を祝福するとともに、これからも道民の地元愛を育む存在であり続けてほしい。
(文:井上哲 写真:吉村卓也、能登匡洋)
何事も長く続けていれば、それ自体が自分の力になる、人に負けない強みになるはず、そうに違いない!と、思いつつ、そんなに長く続けているものあったかなぁ〜、と恥ずかしながら人に誇れるようなものがありません......。
いろいろなものに興味を持つのですが、飽きっぽい性格ゆえ気移りも早い。コツコツと長く何かを長く続けている事をお持ちの方に会うと、「すごいな〜」と思ってしまいます。
みなさまはいかがでしょう?
長くやっていること、長続きしているもの、何かありますか?
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