

群像新人文学賞を受賞した新星である。「キリスト教作家」と称したのは、インタビュー記事や受賞コメントなどで自任している様子だからだ。そして本作もその系譜に連なる。
日本のクリスチャンは絶滅危惧種。札幌はその人口比が全国平均の2倍と言われてきたが、かなりの速度で減少中に見える。後天性クリスチャンである筆者の回りも寂しい限りだから、嬉しいのだ。とまれ、150年前に開学した札幌農学校に若いキリスト者の群れが生まれ、そこから1期生の佐藤昌介、大島正建、2期生の内村鑑三、新渡戸稲造、廣井勇らそうそうたる人物を輩出。中心の伊藤一隆は北海道内の漁協組織化やサケの人工増殖に尽力した人物である。札幌の商家にもクリスチャンが多く、藤井太三郎(大丸藤井セントラル)、岩井信六(イワイ靴店)などが、南一条通り商店街を形作った。北星学園や酪農学園の存在は言うに及ばず、だ。現在、キリスト教都の面影はどんどん薄れている。
日本人の多くのキリスト教受容はステイタス、結婚やクリスマス・アイテムなど文化的表層的に止まるから、信仰にまで至らないのではないか?NHK朝ドラが相次いで熱心なクリスチャンを主人公のモデルとしても、祈る場面が皆無なのはその象徴だろう。とまれ、そのような中、わざわざマイノリティのクリスチャンが増えるのは期待し難いだろう。
横道に逸れに逸れた。
冬島は、世の中の周辺に追いやられ捨てられ、もがき呻吟する人の生を、己を削りながら描こうとしている。だから読中感は、初めて遠藤周作の『沈黙』や三浦綾子の『海嶺』を読んでいるときのような重く苦しい描写が続く。それでも読後には微かな光が主人公たちを照らしているように感じることができる。作者のいう「祝福」であろう。救いまでは行きつかないが、ぎりぎりの状態で信仰(者)と出会い気付きを与えられ、前に進むための出口がぼんやりとでも見えてくる。そこにこの作品の希望がある。
物語のところどころに「おやっ?」と思うやや晦渋な言葉が散りばめられ、読むことに立ち止まらざるを得ない破調を作ること。それらを和らげるかのように、主人公に寄り添い歩く関西弁使いの人物が出てくることも、冬島作品の特徴なのかもしれない。群像9月号の短編にも見られ、微笑んでしまった。
今後、どんな作品を世に問うてくれるか、楽しみである。
著 者 冬島いのり
出 版 講談社
発行日 2026年8月25日
価 格 1,800円(税別)
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