札幌中心部にある北海道大学のキャンパス。構内に足を踏み入れると、あふれる緑に息をのむ。観光客も多く行き交うメインストリートを少し離れると、都心であることを忘れるような農場が広がり、草を食む牛たちの姿が見える。この牧歌的な景色の中にたくさんの驚きと発見があった。

札幌中心部にある北海道大学のキャンパス。構内に足を踏み入れると、あふれる緑に息をのむ。観光客も多く行き交うメインストリートを少し離れると、都心であることを忘れるような農場が広がり、草を食む牛たちの姿が見える。この牧歌的な景色の中にたくさんの驚きと発見があった。
まずは歴史の話から。1889(明治22)年、北海道大学の前身となる札幌農学校にアメリカからホルスタイン種のメス牛3頭、オス牛2頭がやってきた。血統書付きのホルスタイン種の導入は北海道初のことで、当時は非常に貴重だったため、道内各地から多くの農家が買い付けに来たという。
メス牛3頭には1番「敷島」、2番「漣(さざなみ)」、3番「千鳥」という和名がつけられた。構内にある第二農場では、この3頭の血統が約140年間にわたって受け継がれ、毎日牛乳を生産し続けている。大正時代に導入されたもう1頭、ネリーという牛を含めると、農場で飼育する約9割の牛がその子孫にあたるという。
戦争や災害などさまざまな時代をくぐり抜けてきた血統だが、10年ほど前に一度途切れそうになった時期がある。当時農場の担当教員だった三谷朋弘さんはこう振り返る。
「敷島系でなかなかメスが生まれず、1頭だけ残っていた敷島系の母牛から卵子を採取し、体外受精と受精卵移植をしてなんとか復活できました」。
それぞれの牛の出自は名前でわかるようになっている。例えば「ホクダイ エレベーション マユミ ヒダカ」は北大生まれで人工授精の父がエレベーション、種付けをしたのが獣医学部のマユミさん、最後にヒダカと付くのは敷島系であることを示す。このように長い間系統をつなぎ、かつ詳細な記録も残している農場は世界でも数少ないという。
「札幌農学校からの歴史を紡ぐ牛からしぼった牛乳を、いまも私たちが飲んでいると考えると、わくわくして夢がありますよね」と三谷さん。歴史と伝統がつまった「北大牛乳」は、構内にある「北大マルシェCafé & Labo」で飲むことができる。

第二農場では約9haの草地で、例年5月上旬から放牧を行っている。筆者が取材に訪れたのは6月初旬。牛たちはすっかり落ち着いていたが、放牧し始めは牛も嬉しく「めちゃくちゃはしゃぐ」そうだ。
三谷さんの案内で草地に入っていくと、周囲より色が濃く、牛が食べずに丸く残っている部分があった。かき分けて中をのぞくと中心にこんもり小山が。「これは今年の春に牛がした糞(フン)です。いま微生物が頑張って土に戻そうとしている途中」とのこと。
牛が糞をした場所は、植物の三大栄養素である窒素成分が高くなって草の生育が早くなる。ただし牛は自分たちの糞を食べるのが嫌いなので、周りの草が残ったというわけだ。
別の場所には草丈が一段と高く伸びた部分を発見。こちらは去年の糞があったところで、中を見ると何もない。土壌中に棲むさまざまな微生物が糞を分解して土に還し、土に染み込んだ栄養分が草の生長を促し、その草を牛が食べてまた糞をする──そのくりかえし。
これまで頭では理解していたつもりの「循環」を目の前でわかりやすく見せてもらった気がした。「目に見えない微生物たちが元気でないと、酪農は上手く回っていきません。やっぱり土を大事にしないと牛は飼えないと思います」という三谷さんの言葉が印象に残った。
1年を通して放牧を行っている牧場もあるが、第二農場では冬の間、牛たちは牛舎の中で暮らしている。その間の糞尿は、隣接するバイオガスプラントにまとめて送られ、微生物の働きによって発酵させる(ここでも微生物が活躍する)。
嫌気発酵させると天然ガスの主成分であるメタンガスなどが発生するので、北大のプラントではボイラーの燃料として利用し、発酵槽自身を温めるとともにあまったお湯は牛舎内で利用される。
また、ガスとともに発酵の過程でできる液体は消化液といい、植物に必要な栄養素をたくさん含んでいるため、毎年秋に液肥として散布している。「この放牧地に人間が外から入れているのは、それだけです」とのこと。その原料も牛が自分で「生産」したものなのだ。


三谷さんが所属する研究室では「自給飼料主体の循環型酪農」の研究を続け、春先はとくに草の栄養価が高いため「放牧草100%で十分飼育できる」という結論に至った。さらに放牧草のみで牛を飼うとどのような牛乳になるかを研究している。
ここで乳牛のエサについて少し説明したい。牛の飼料は牧草(放牧草、乾草、サイレージ〔サイロに詰め込み発酵させた飼料〕)だけでなく、主にトウモロコシなどの穀類に、油粕などを混ぜた「配合飼料」を合わせて与えるやり方が一般的となっている。
栄養価の高い配合飼料を食べると牛1頭あたりの乳生産量は高くなり、日本では1970年代の高度成長期以降、配合飼料の割合が大きく増えた。ところが、配合飼料の原料となる穀類は約9割が輸入品で、近年は価格高騰の波にさらされ、日本全体の酪農の危機的状況の一因になっているといえる。
北大は今年創立150周年を迎えるが、初代教頭・クラーク博士の教えによって、創立の翌年に学内の農場で牛の飼育を始めた。当初から夏は放牧、冬は農場で収穫した乾草とサイレージを与え、時代の波に押されて配合飼料が増えた時期もあったというが、ずっと牧草が基本であることは変わらない。三谷さんはこう続ける。
「いま私たちは牧草中心で飼うことを研究として続けていますが、昔は『当たり前』のことでした。北大で約150年続けてきた基本ですから、当然新しい技術も導入しますが、あと150年くらいは続けてもいいだろうと思っています」。
世界的に考えると、人類は約8,000年前から草で牛を飼い、乳をしぼってきたという。「長い時間をかけてトライアンドエラーで積み重ねてきた方法を、現代の価値観や科学で一気に変えてしまわないほうが良いのではないか、というのが私たちのスタンスです。とくに農業などの分野では原点を大切にすることが重要な気がしています」。
北大で牛を飼い続ける価値がここにあるのだろう。
草地を出て「北大マルシェCafé& Labo」へ向かった。ここでは農場でしぼった生乳を、牛乳やフレッシュチーズ、ジェラートなどに加工して提供している。緑に囲まれた絶好のロケーションで窓からの眺めも素晴らしく、海外からの観光客も多く訪れる。「北大牛乳」を通して循環型酪農の価値を伝えることを目指し、三谷さんが中心となって2017年に立ち上げた場所だが、もともとは農場の財政が厳しく、何かできることはないか探したのがスタートだった。
「かつて農場の牛乳は乳業メーカーに全量出荷し、ほかの牛乳と混ざって販売されていました。それを『北大の牛乳』として売れないだろうかと考え、まず乳業メーカーに相談しましたが、少ロットすぎて話にならない。それで学生時代からお世話になっている興部町の酪農家、大黒宏さんに相談し、大黒さんの牧場(ノースプレインファーム)のように自分たちで加工し、販売もしようと考えたのです」。
しかし、実際に動き出すとすぐ「甘い考えだった」と気づく。最初は客が来ない。商品が売れない。やがてコロナ禍で店舗の営業は一時休業に。それでも、三谷さんと同じ思いを抱く仲間が集まり、さまざまな工夫を重ねるうちにその存在が注目されるようになる。
「北大の牛乳はこんなふうに生産しているとか、札幌の真ん中で放牧をしているとか、学内外の多くの人に気づいてもらえるようになりました。いろいろな人が、マルシェみたいな場所があって良かった、それはやっぱり北大がずっと牛を飼っているからだよねという見方に変わってくれたのは、やってきてよかったと思います。すごく大変でしたけど」。
北大牛乳がしみ込んだ熱々のフレンチトーストを食べながら、この場所がある幸せをかみしめた。

北大マルシェCafé & Laboは牛乳をおいしく楽しむ場所であることはもちろん、酪農について興味を持ち、知りたいと思う「きっかけ」の場所となっている。壁には「今日の北大牛乳」の乳脂肪率、乳たんぱく質率といった数字が並び、メニューには、北大での牛の飼い方、土・草・牛の循環、酪農の価値について、わかりやすい文章が載っている。
「マルシェで牛乳を飲んで、あれ?いつもと違うな。どうして違うんだろう?と感じてもらえたら、そこから始まると思っています」と三谷さんはいう。
今後は「もっと詳しく知りたい」人に向けて、草地や牛舎を案内したり、1877(明治10)年に発足した「札幌農学校第2農場」で酪農の歴史を解説したりする学内ツアーも計画中だ。これからも私たちのそばに健やかな牛乳があり続けることを願って、さらなる活動を応援したい。
(文:石田美恵 写真:吉村卓也)
牛乳はお好きでしょうか? 私は好きなんですけど、朝とか、冷たい牛乳をたくさん飲んだりするとお腹がゴロゴロ……。
でも牛乳から作るヨーグルト、チーズ、アイスクリームは大好きです!
昔は牛乳屋さんが牛乳瓶をカタカタいわせながら配達していたりしたもんですが、今はすっかりスーパーで買うものになりましたね。でも給食ではいまだに牛乳が出てますね。
せっかく北海道にいるのだから、美味しい牛乳をたくさん飲みたい、使いたい!
みなさんの生活の中に、思い出の中に、牛乳はありますか?
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