道民の暮らしに昔から寄り添ってきた北海道和種馬「どさんこ」のいる風景が今、失われつつある。北海道を中心に、推定頭数は1,000頭余りとなり、この30年で半数以下に激減した。「北海道育ちの道産子」「道産子パワー」などは、北海道の人たちを表す言葉としても使われてきた。なじみ深い生き物を守ろうと、奮闘している人たちがいる。

道民の暮らしに昔から寄り添ってきた北海道和種馬「どさんこ」のいる風景が今、失われつつある。北海道を中心に、推定頭数は1,000頭余りとなり、この30年で半数以下に激減した。「北海道育ちの道産子」「道産子パワー」などは、北海道の人たちを表す言葉としても使われてきた。なじみ深い生き物を守ろうと、奮闘している人たちがいる。
道東・十勝平野の西部に位置する芽室町。帯広市近隣のベッドタウンとして、また、農業の一大生産地として発展している。その市街地から車で25分ほど離れた、日高山脈ふもとにあるのが「剣山どさんこ牧(まき)」だ。
山々に囲まれた約100ヘクタールもの土地に、80頭のどさんこたちがのびのびと点在する。あえて「牧場」としないのは、牛や馬を放し飼いにする広大な場所を日本では古くから牧(まき)と呼ぶことからだ。その名の通り、柵に囲われていない山の斜面や青々とした草地にどさんこたちが自由に移動している。
北海道を代表するどさんこの産地として34年の歴史を持つこの牧場は今年1月、新しいオーナーを迎えた。それが齊藤朋子さんだ。「馬と聞くと、多くの人がイメージするのがサラブレッドなどの競走馬。どさんこの体高は130センチほど。子どもや乗馬初心者が乗るのにもちょうど良いサイズ感で、何よりもかわいい」と、自分たちの馬を愛おしそうに見つめる。
神奈川県出身。幼少期にふれあい動物園で馬に触れたことをきっかけに、馬のとりことなり、馬のすべてを学べる帯広畜産大学に進学した。
そして20年前、障がい者を対象にした乗馬体験が学内で開かれ出会ったのが、牧場前オーナーであり「馬の師匠」になる川原弘之さんだった。齊藤さんを一目で馬好きと見抜き、「どさんこ好きかい?」と話しかけてきた。
もともと帯広の農家出身で農業改良普及員だった川原さんは、55歳で早期退職してこの芽室町上美生の山地を少しずつ買い取り、1992年に「剣山どさんこ牧」を開業した。はじめは純粋な馬産だったが、徐々に乗馬用の馬の生産に切り替え、どさんこの付加価値を高めていった。
ただ馬を飼育するのではなく、どさんこの魅力を伝えようと、乗馬しながら的を射る日本伝統の流鏑馬(やぶさめ)も始めた。川原さんのもとに通うようになっていた齊藤さんも愛馬を購入し、参加するようになっていた。齊藤さんは大学で博士号を取得後、畜産関係の一般企業に就職。2015年から22年まで、母校の大学教員として馬に関する研究職に就いた。大学退職後、一般企業で働いていた時期も、川原さんやどさんこたちとの関係は続いていた。

転機が訪れたのは、2024年4月。川原さんから一通のショートメールが届いた。「牧場を継がないか」。
高齢となり牧場運営が難しくなった川原さんが後継者に選んだのは、齊藤さんだった。この10年、牧場を引き継ぎたいという人が現れなかったわけではない。全国からどさんこの魅力にひかれ、後を継ぎたいという人は何人もいたが、形にはならなかった。
これからというときに、川原さんは病に倒れてしまった。齊藤さんは、「もう、猶予はない。私が牧場を継ぐということは、約80頭のどさんこたちを買い取ること。買い取れなかったら、馬たちは処分されて馬肉になってしまう」と覚悟を決めた。牧場の土地を川原さんから借りて、農家として新規に出発すること、馬たちを購入するための資金を確保すること。行政や金融機関の手続きはどれも難航したが、川原さんの家族の尽力もあり2026年1月、すべての契約が円満に完了し、晴れて正式な後継ぎとなった。
なぜすべてを投げ打ち、どさんこたちを守ろうとするのか。それは、「北海道開拓の遺産を絶やしてはならない」という使命感からだ。江戸時代、本州から昆布漁のパートナーとして人間と共に渡ってきた在来馬がどさんこのルーツといわれる。その後、人間たちに取り残され、厳寒の原野でコンブやササを食べて生き残り、北海道和種となった。
その後も北海道開拓の貴重な働き手として、欠かせない存在になった。どさんこは、小柄ながらもがっしりとした体格と、不整地でも安定して歩ける持久力が特徴だ。齊藤さんは「自分たちの力で生きてきたルーツがあるので、芯が強い。優しさだけではなく、頭もよく、納得するまで動かない」。そんな頑固な性格も好きだという。

日本の在来馬は木曽馬、宮古馬、トカラ馬など8種いるが、どさんこは他の和種馬に比べて比較的頭数が多かったこともあり、適切に管理されてこなかった。現在は約1,000頭まで減り、血統の多様性が失われる近交退化(血が濃くなることによる弊害)のリスクが指摘されている。背景には、近代化で農業や運搬で使われる機会が減ったことや、生産者の高齢化などが挙げられる。
齊藤さんは、「在来馬の減少には明治政府の施策も大きく影響している」という。戦地での経験から、在来馬より体高があり従順な洋種馬の生産が奨励され、在来馬の種付けが禁止された時代もあった。
「市場原理で需要がなくなれば、減少しても仕方がないと言われることもある。しかし、日本にも固有の馬がいて、北海道で共に暮らしてきたパートナーという存在を失いたくない。一回絶滅してしまったら、もう二度と復活させることはできない」(齊藤さん)
齊藤さんは、どさんこの危機的な状況を伝えようとクラウドファンディング(ネットによる資金調達)にも挑戦した。多くの賛同者を得て、目指すのは安定的な生産だ。さらに、ホーストレッキング、牧場ピクニックなどの再開に加え、馬の生態や扱い方を学ぶ「馬学講座」といった新たな取り組みも始まっている。
「剣山どさんこ牧」の馬たちは、全国から引き合いが絶えない。それも、川原さんの時代から引き継がれてきた、広大な敷地でのびのびと育った環境に独自の調教という要素が加わり、「どさんこ牧の馬が欲しい」というブランドにつながっている。
ブランドの重要な核である「調教」を担ってきたのが、芽室町に隣接する清水町で同じくどさんこ牧場「D-base(ディーベース)」を運営する中村三保子さんだ。中村さんも齊藤さんと同様、川原さんの人柄に惹かれ「剣山どさんこ牧」で、2年間住み込みで働いた。
中村さんが調教を開始した10数年前、どさんこ牧にいた約100頭の半数は人との距離を保ち、人の世話にもならないと決めた野生の馬だった。
川原さんは人間とも接することができる残り半数の子孫を残すことにこだわって生産してきた。
その思いを引き継ぎ、中村さんが取り入れたのが、人間の力や恐怖で馬を支配する伝統的な調教法とは対極にある、「ホースマンシップ」という考え方だった。馬を理解し、馬と良好な信頼関係を築くために、人間側の知識や技術、心のあり方を重視する。群れで暮らし、怖がりな草食動物の習性を生かして、馬にも分かりやすい方法で「この人のそばにいると安心」と思わせる調教方法だ。

山林のどさんこ牧は、平坦な土地はごくわずかで、敷地内には起伏や崖、小川もある。「ここで暮らすどさんこたちは、野生で感じるすべてを体験しながら、人といるのも好きだし、人間を仲間であり保護者だとも思っている」と中村さん。
中村さんは2015年から、芽室町にある8ヘクタールの敷地でどさんこを主体に約20頭を飼養し、道内外の会員たちにホーストレッキングを提供している。
自分が手掛けてきた調教は後輩の高尾訓也さんが引き継ぐ。高尾さんは、馬の背中に荷物を載せて運送する道南の伝統技術「だんづけ」の数少ない継承者でもある。
1本のロープを匠の技で馬の背に荷物とともに括り付ける「だんづけ」。どさんこたちは、道路が整備されて馬車が普及する以前は、物資運搬の重要な役目を担っていた。1980年代後半の青函トンネル建設時には山あいの険しい道のりをどさんこたちが電線を担いで働いていたという。
100頭にも及ぶ馬と共に暮らし、今も馬がそばにいる生活を送る中村さんは「馬も人と同じで一頭一頭が違う。人も馬も物のとらえ方、理解もさまざま。それに合わせた調教を考えるのが人の役目。私は彼らからたくさんのことを教わった。その恩返しとして、このどさんこたちと『どさんこ牧』を守るために協力は惜しまない」と語る。自分より一世代下の齊藤さんや高尾さんを見守る目はどこまでも優しい。
どさんこと、どさんこのいる風景に魅了された人たちの営みは、世代を超えて今も続いている。
(文:酒井花 写真:吉村卓也)
「どさんこ」と聞いて思い浮かぶものは何ですか? 馬でしょうか?
人でしょうか? それとも「コンサドーレ」? 北海道に暮らして30年。北海道生まれではないのですが、気分はすっかり「道産子」なんですが、やっぱり違うのかなぁ。
北海道生まれの人も、そうでない人も、「道産子」についての思い、お聞かせください!
ドームが出来た時の熱狂、ワールドカップの会場にもなりましたね(H)
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