

昔、セイロンに3人の王子がいたそうです。この王子たち、みんな整理整頓が苦手で(私みたいです)いつも何かを探していました。でも探し物はなかなか見つからない。ですがこの3人、探すのは下手なくせに、探していなかった面白いものを見つける能力に長けているのです。そして偶然に見つかった新しいものにうきうきする。いつのまにか何を探していたかすら忘れているのですが、もうどうでもよくなっています。
昔セイロンはペルシャ語で「セレンディップ」と呼ばれていたそうです。偶然の出会いがもたらす思わぬ効用を表す言葉が「セレンディピティ」です。これは、この王子の寓話を知ったイギリスの小説家が造語としたのが起源のようです。元がセイロンだっとは意外でした。「幸運な偶然を手に入れること」「思ってもみなかった出会い」。似た言葉に「セレンゲティ」というのがあって、私はかつてこの二つがごっちゃになっていました。セレンゲティはアフリカのタンザニアにある国立公園で、今はすっかりネコ写真家になった動物写真家の岩合光昭さんのベストセラー写真集の名前でもありました。
おっと脱線しました。さて、その「セレンディピティ」ですが、新聞を読んでいるとこの「偶然の出会い」が面白い。自分には全く関係ない、少なくともそう思っていたはずなのに、面白い情報に出会います。一面の下に載っている書籍広告(通称「サンヤツ」)なんかその典型です。ある日、「月間住職」という雑誌の広告が出てました。そんな雑誌があるんですね。その目次にあったのが「ポケモンGO襲来に寺院の対処」という一文。えっ!ポケモンGO?寺院に襲来?その言葉のあまりのインパクトにすっかり好奇心をそっちに持っていかれてしまったのを覚えています。ポケモンアプリが流行ったころですね。ポケモン探しにいろいろな人が寺院に入り込んでいるのか、お寺もたいへんだなぁ、でもお寺に人を呼ぶチャンスになるかもなぁ、などと想像力がふくらみます。
デジタルの時代になり、自分の求める情報がAIによってよりすぐられ、「あなたの欲しいものはこれでしょ?」と提示される時代です。「おお、それそれ!」と思うこともあるし「何でわかるんだよ?気持ち悪いな!」と思うこともあります。SNSではいきおい同質の人間としかつながらないから、世間もそういうものだと思ってしまいがちです。私のSNSにはトランプ元大統領が好きだという人は現れないし、ゴルフが好きな人もいない。世間はそういうものではないはずなのに。
新聞を開いて、今日はどんな出会いがあるだろうとセレンディピティに身を委ねてみるのは心地よい体験です。デジタルで読むときは紙面ビューアーを使えば、紙と同じレイアウトが見れます。もちろん「サンヤツ」も。
しかし、かつてのセイロン、今のスリランカ、最近大統領が国外脱出したりして大変な事態になっているようです。大丈夫だろうか……。