
大惨事は澄み渡った青空の下で起きた。
2005年4月25日、神戸総局のデスクだった私は、ひっきりなしにかかってくる電話を受けながら大量の原稿と格闘していた。パソコン画面から目を離すことができなかったので、実際の空は見ていない。だが、現場の記者から送られてくる原稿の中に「青空」という文字があったことは覚えている。地上で起きている現実とのギャップが記者の記憶に刻みつけたのかも知れない。
それは事故に巻き込まれた人も同じだった。
大阪芸術大3年だった福田裕子さんは2時間目からの授業に出るために快速電車の1両目に乗っていた。レスキュー隊に、担架代わりにした座席に乗せられて車外に運び出された瞬間、青空が目に入った。まぶしくて暖かく、生きていることを実感した。
鎖骨骨折で入院し、1カ月後に復学した。ところが人の体を描こうとすると、事故車内で感じた人の感触がよみがえり、手が震えた。
107人が死亡したJR宝塚線脱線事故の負傷者とその家族は「空色の栞」を作り、4月にJR尼崎駅などで配布している。描かれているのは、あの日と同じ青空。その下で男の子が白い鳥に導かれるように歩いていたり、女の子と男の子が糸電話で話をしたり。毎年異なる絵柄の原画は、ようやく人の姿を描けるようになった福田さんが担当している。
「あの日を決して繰り返すことなく、心安らかに暮らせる社会を育んでいきたい」
何げなく以前に読んだ本をめくると「空色の栞」が出てくることがある。そのたびに、青空の裏に書かれたメッセージを読み返している。
朝日新聞 北海道支社長 山崎靖