

阪神・淡路大震災から29年が過ぎた。
1月17日、大阪社会部の記者だった私は、ライフラインが止まった兵庫県西宮市のマンションに妻と1歳の長男を残し、ひとり自転車で飛び出した。現実とは思えない惨状を目の当たりにして放心状態のまま帰路に就いたときは翌日の午前3時を回っていた。
停電で真っ暗な住宅地の中を、がれきを避けながら無心に自転車をこぐ。すると突然、目の前に光が現れた。阪急電車の高架上。線路を照らす明かりのもとで、多くの作業員が復旧作業をしている。その様子をしばらく眺めていると、涙が止まらなくなった。
スコップを握る人の中には、自分と同じように、被災した家族を残して駆けつけた人もいるに違いない。みな泣きながら必死に働いているように見えた。
元日に能登半島を大きな地震が襲った。金沢で学生時代を過ごした私にとって思い出がたくさん詰まった場所が、一瞬で変わり果てた姿となった。
1月4日の朝刊には、倒壊した民家でがれきと格闘しながら住民を探す消防隊員の写真が載っている。その姿が、29年前の高架上で見た光景と重なった。
神戸大学名誉教授の五百旗頭真さんは著書『大災害の時代』の中で、自衛隊員の苦悶に触れている。
救助活動中、津波から懸命に逃れた妻から助けを求める電話を受けた。「行くか、逃亡兵になっても」。心を引き裂かれた隊員に、再び妻から電話があった。
「大丈夫だから、他の人を助けてあげて」
それは、「天使の言葉であった」という。
目の前で苦しんでいる人のために自らを犠牲にしている人に、どんな言葉をかけられるだろう。
その答えを探りながら、この一文を書いている。
朝日新聞 前北海道支社長 山崎靖