

上沼恵美子さんを取材したのは、いまから29年前になる。39歳だった上沼さんはこの年、紅白歌合戦の司会に抜擢された。
関西の人気タレントによる紅白司会は、大きな話題だった。大阪のお笑いが全国に認められたと評する人もいた。そんな時の人を朝日新聞の「ひと」欄で紹介するという重責を、なぜか大阪社会部1年生の私が担うことになった。
当時から超多忙な上沼さん。事務所からは、仕事の合間の30分しか時間がないと言われた。わずか30分で取材ができるだろうか。初対面の記者がまともに相手にされるだろうか。不安しかなかった。
夜、指定された時間にテレビ局のロビーで待っていると、10分遅れで上沼さんが現れた。
「ごめんなさい。わざわざ来てくれはったのに。遅れてしもて」
ひと回り下の記者に対して丁寧に頭を下げる姿に、逆に面食らった。緊張しすぎてどんな質問をしたのかは覚えていない。ただ、マシンガンのように発せられる言葉を必死にノートに書き込んだ。
「5、6年ほど前でしょうか。『大阪城は実家です』ってアドリブが出たんです。笑いをいただかないとおさまらない習性ですから。1回きりにしようと思ったのですが、皆さんが期待してくださるようになって」
取材時間は20分ほどだった。だが、ノートの文字を書き起こすと、そのまま記事として使える文章になっていた。上沼さんは取材の狙い通りになるよう言葉を選んで喋ってくれていた。
いまも毒舌は健在だ。ときどき物議を醸しているが、私はその根っこにある優しさを感じてしまう。
朝日新聞 前北海道支社長 山崎靖