
「参院のドン」
6月13日付朝刊1面の左下に、その文字があった。 官房長官や自民党参院議員会長などを務め、89歳で亡くなった青木幹雄氏の訃報に添えられた見出しだ。
「ドン」として、その影響力をさらに高めるきっかけになったのは、2000年6月の総選挙だった。竹下登元首相が選挙期間中に亡くなり、元首相の地元で「竹下王国」と言われていた島根二区を誰が制するのか。全国でも注目されていた。
「選挙戦の実態を取材して来い」
大阪社会部の遊軍記者だった私は、キャップの命令で1カ月近く島根に張りついた。大阪からヒョコヒョコやってきた若い記者に本音を話すような土地ではない。どこに行っても門前払いにされる日々が続いた。
「何にも聞けてないやないか」
電話口でキャップに怒鳴られ、追い詰められた私は、ひたすら候補者に密着するしかなかった。
元首相の後継者として自民党から出馬していたのは、弟の竹下亘(わたる)氏。朝から晩まで亘氏と行動を共にしていて、気付いた。亘氏の傍らに常に寄り添うようにいたのが青木氏だった。
演説を聴くのも握手を求めるのも、有権者の目的は亘氏ではなく青木氏。島根弁丸出しの官房長官は、地元ではアイドル並みの人気者だった。最終日、出雲空港から東京行きの最終便に飛び乗る寸前まで、選挙カーの窓から手を振り続けていた。
「まるで青木さんの選挙だがね」。支持者の声を拾ったルポは、選挙結果を伝える社会面に載った。
「『青木王国』へ代替わり」
23年前の見出しが、新たなドンの出現を伝えた。