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今回は地方取材のベテランの記者さんです。九州から、上信越、東北などで勤務し、現在は苫小牧にベースを置き、胆振・日高地方と千歳市を担当しています。ある地方支局での経験が記者としての物の見方を変えたそうです。その経験とは……。

—— まずはご出身を教えてください。
松本:長野県の出身です。朝日新聞に入ったのは1990年1月。同期の記者が100人ほどいた時代で、まだバブルの余韻が残っていました。
—— 新卒で入社されたんですか?
松本:いえ、大学時代から記者になりたいと思っていたんですが、なかなか入れてもらえず、最初は食品会社で2年9カ月営業をしていました。その後、念願叶って朝日に入りました。
—— そこまで強く記者を志した理由は?
松本:最初はただ「かっこいいな」という憧れでした。でも学生時代にジャーナリストセミナーに参加して、現場の記者たちと会ううちに、さらに面白そうだと思うようになりました。読売新聞の元記者・本田靖春さんの『警察回り(サツマワリ)』という本にも影響を受けました。初任地は山口県の下関。安倍晋太郎さんが現職で、私が赴任した翌月には消費税選挙がありました。そこでは「サツ回り」から始まり、1年目は警察、2年目は漁業、特産のフグの取材などをしました。本のイメージとは大分違いました。
—— その後、熊本県の水俣に?
松本:はい。宮崎で1年少し勤務した後、水俣に4年間。ここが自分にとって記者人生のターニングポイントでした。
—— どう変わったのでしょう?
松本:1995年、戦後50年の節目に合わせて水俣病被害者の政治救済が進みました。患者の方々の「お金ではなく、患者と認めてほしい」という切実な声、地域社会の分断、補償の不平等……。取材する中で、本当に多くのことを学びました。都市部にいては分からない地域の声があることを痛感しました。
—— 一貫して地方勤務なのですね。
松本:水俣を経験してから、本社での仕事より、地方から都市部に「これが現実だ」と伝える記者になりたいと思うようになりました。結果的に今も本社勤務の経験はなく、地方を転々としていますが、それが自分にとって合っていたのだと思います。勤務地はすべて地方です。一人勤務の支局もありました。希望していたわけではないですが、行く先々で意味のある出会いと経験がありました。異動の際の面談で「そろそろ本社に」と言われたこともありましたが、「地方の問題を発信し続けたい」という希望は伝えていました。
—— 本当にいろいろな地域を回っていますね。
松本:新聞記者はそういうものです。初任地で上司から「なぜオレがここにと思うのではなく、意気に感じて仕事をしろ。赴任した場所で意味を見出せ」と言われましたが、本当にその通りでした。よいところを歩いてきた、人として成長させてもらった、と強く感じています。
—— 今は広いエリアを担当していますね。
松本:胆振・日高エリアを一人でカバーしています。防災、とくに火山災害に関心があり、樽前山、有珠山、倶多楽などの常時観測火山がエリアにあります。
—— 地震や噴火の現場取材も多いと聞きました。
松本:長野勤務のときに御嶽山の噴火、新潟では中越地震の現場にも入りました。現地で長期滞在しながらの取材は命の危険も伴いますが、だからこそ防災への意識を伝える責任を感じます。
—— 今、北海道での暮らしはいかがですか?
松本:想像以上に食料品物価は高いですね。でも自然も食も豊かで、住みやすいです。
—— 11回の転勤を経験された方としてお聞きしたいのですが、知らない土地に飛び込んでいくとき、まず何をされますか?
松本:異動の内示を受けたら、まずその土地の地図を買います。場所の地理や記事を調べ、記事のデータベースで調べたり、現地に着いたら挨拶回りを兼ねてとにかくいろいろな人に会って話を聞く。人から地域を知りイメージをふくらませることを大切にしています。
—— 苫小牧での取材のやりがいは何ですか?
松本:この地域は自然災害のリスクが多いだけでなく、アイヌ文化や再生可能エネルギーなど、注目すべきテーマが多い点にやりがいを感じます。特に火山防災では、過去の教訓をどう生かして未来に備えるか、行政や地域とともに考えていく必要があります。有珠山の大きな噴火が25年前。いつ噴火してもおかしくないのですが、もう当時の大変さを知る行政職員も少数派となっています。
——本当に、地方に根を張った記者としての姿勢が伝わりました。ありがとうございました。
1990年入社。山口県下関、宮崎、熊本県水俣、新潟県長岡、富山、長野県大町、福島県いわき、長野県松本、新潟県上越で勤務した後、2022年6月から苫小牧に勤務。