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金融危機、9.11、リーマン・ショックなど歴史的現場を取材し、管理職も経験した後、再び北海道で一記者として取材を続ける記者に、そのキャリアと新聞記者への思いを伺いました。
− 北海道とのご縁は?
丸石:生まれも育ちも関東圏で、それ以外での生活は初任地の秋田が最初でした。北海道は初めてです。
− 経済畑が長かったようですね。
丸石:5年間の支局勤務後は、経済部で株式市場や大手証券会社を担当しました。ちょうど第二次証券不祥事があって、山一證券が破綻した年でした。まさにその山一證券を担当していました。
− 最初の経済担当でいきなり大手証券会社の破綻とは、大変な経験でしたね。
丸石:当時はまだ何も分かっていませんでしたが、そこから金融危機が深まって、取材を続けることになりました。翌年には大蔵省から金融監督庁(現金融庁)が分離され、大手銀行の長銀(日本長期信用銀行)や日債銀(日本債券信用銀行)が破綻処理されました。 バブル崩壊後、金融機関にたまった不良債権問題を解決するためということでしたが、まだ銀行を混乱なく倒産・再生させる法律もなかった時代でした。
−まさに、行く先々で金融危機や破綻に立ち会われているのですね。
丸石: 「修羅場」の経験を積ませてもらったと感じています。 お金にまつわる暮らしや仕事の現場と、社会課題解決のための政策立案の過程を学びました。

−その後、2001年にはアメリカ・ニューヨークの大学院へ留学されたと伺いました。 その年は確か……。
丸石:同時多発テロの年です。マンハッタンでの授業初日に、10キロも離れていない場所で「9.11」が発生しました。緊急事態なので、すぐに「現場に行って取材を」と指示され、1週間ほど手伝いました。最初は、崩落したビルに一番近い病院で被害状況を取材し、その後はニューヨーク証券取引所の取引休止など異例の事態になっていた経済関連の取材をしました。
−その後、2006年、今度はニューヨーク特派員としてまた大きな出来事に遭遇されていますね。
丸石:大手証券会社リーマン・ブラザーズの破綻をきっかけにした経済危機「リーマン・ショック」です。
−日本での経験から、この危機は予測できていたのでしょうか?
丸石:米国も「いつかはじけるんじゃないか」という思いはありました。不動産バブルや、金融市場が実体なく膨らんでいる危うさを感じていました。
−なるほど。長年の経済記者の経験が、危機の兆候を捉える上で生かされていたのですね。
丸石:ですが、いつ破裂するかは分かりませんでした。本当に「危ない」と思ったのは、リーマンに公的資金を入れて救済するという決断を見送った時でした。大変なことになるのは日本の金融危機を見て分かっていたはずですが、米国でも公的資金の投入に強く反対する人がいました。恐れていた通り、リーマンの破綻によって金融市場が大混乱したばかりか、ゼネラル・モーターズ(GM)をはじめ大手自動車メーカーが相次ぎ倒産するなど実体経済にも影響が及びました。
−その後、日銀担当のキャップを経て、いろいろな管理職を経験されています。なぜ一記者として北海道に?
丸石:記者を志して入社し、いろいろな経験をさせてもらったので、やりがいのある報道の第一線に戻りたいという気持ちをずっと持っていました。希望を通してもらえるならどこでも、という思いでした。とはいえ、やっぱり簡単ではなく、10年以上のブランクや衰えも痛感しました。できるだけ足を運び、たくさんの人に話を聞いて、発信していきたいと思っています。
−55歳での決断ですね。現在の北海道での主な取材テーマは何でしょう?
丸石:今は道政や選挙担当のサブを務めています。経済のテーマも引き続き追っています。特に今年、注目をしたのはラピダスです。
− ラピダスについてもう少し詳しく伺ってもよろしいでしょうか。 最先端の半導体製造工場として注目されていますが、現在の状況はいかがですか?
丸石:今は試作ラインの製造装置を導入し、調整している段階です。 7月頃には最初の試作品ができると社長は話していて、その成否が、今後順調に進むかどうかの一つの目安になります。完成品を売り出す「量産」は2027年を目標にしています。
− ラピダスは、熊本のTSMCよりもさらに先を行く技術を目指していると聞きました。
丸石: 基本的にはTSMCが先行していますが、開発中のものと同じ世代、2ナノメートル(※1ナノは1ミリの100万分の1。現在の最先端は3ナノ世代)の製造を目指しています。日本は40ナノメートルで開発競争から脱落しましたが、ラピダスはその遅れを一気に取り戻し、最先端で世界と肩を並べる水準を達成するというミッションを掲げています。 非常に高いハードルだと思います。達成できるかどうか今後も注視していきます。
− 書かれたラピダスの記事は大変分かりやすく参考になりました。これからも楽しみにしています。
1992年入社。秋田、さいたま・浦和での勤務を経て、97年から東京経済部。2006〜10年ニューヨーク特派員。その後デスク、社長秘書役、東京経済部長、販売局長補佐、西部本社編集局長、西部本社代表を経て2024年6月から北海道報道センター。