

今回の記者さんは昨年9月から北海道報道センターに戻ってこられた三木一哉記者です。記者歴36年のベテランで北海道勤務は3回目、通算10年半になります。現在は主に後志地方を担当。かつて香港支局長を務め、国際的な問題にも関心が深い記者さんです。
—新聞記者を志したきっかけを教えてください。
三木:学生時代に天安門事件直前の中国に留学していました。事件が起きた時の現地の学生の反応に接し、記者として中国を見たり書いたりしたいと思うようになりました。当時の中国は普段暮らすだけでも困難が伴いました。現地の肌感覚を知っているのは強みになると考えました。入社して特派員の方たちがずっと幅広く深い知識を持っていることに気づかされたわけですが。
—再び中国に留学した後、2002年に香港支局長になったのですね。
三木:赴任して早々にSARS(重症急性呼吸器症候群)の感染拡大があり、SARSを通して香港の市民力を知りました。自由なメディアが報道し、市民は知る権利を求めて訴える。役所もアカウンタビリティを果たす。言論を統制する中国と、しない香港の差がくっきりと見えました。当時は大規模なデモも起きていました。
—2006年から北海道勤務が断続的に続きます。異動は希望されたのですか?
三木:最初に札幌で開発局や道教委の取材をして、その後小樽支局長を2年やりました。妻と娘が北海道を気に入り、札幌市内に中古マンションを買って、娘が札幌の高校に進学するのを機に先に家族が移り住みました。私も北海道への異動を希望し続け、函館、旭川に計4年勤務し、神奈川県の相模原に2年半出たのち、再び北海道へ戻ってきました。
—小樽支局が廃止になり、札幌にいながら後志地方を担当。移動は大変では?
三木:最も遠い島牧村までは150〜160kmあります。でも、役場を中心に同じ道を車で何度も往復すると土地勘が付き、適応できるようになってきました。冬の移動は特に大変ですが。距離感を感じることも記者の醍醐味。札幌が享受している便益は、地域が大変さを引き受けているから可能なのだということが行くことで体感できます。
後志は、寿都町と神恵内村で原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場の文献調査が実施されました。泊村には泊原発があります。ニセコには外国人のインバウンドが多く、不動産投資や開発の問題もあります。多くの課題を抱えたエリアで、取材しがいがあります。
—全国に発信して手応えがあったのは?
三木:今年2月、羊蹄山のふもとにあり、名水の町として知られる京極町が、乱開発を防ぐために未利用の民有地を1億1600万円で買い取る予算を計上した、と報じました。地元紙が先行していたので、町や町長に「なぜ?」と根掘り葉掘り聞き、東京の夕刊に出稿しました。周辺自治体では別荘建設をめぐり中国資本による樹木伐採などが相次いで問題になっていたことなど背景を書き込んだところ、都市部の読者から京極町にふるさと納税の申込が相次いだそうです。この地域が抱える課題を東京で理解してもらうことに、少し貢献できたかなと思います。
—断続的に樺太引き揚げ者の話も取材されています。
三木:2022年に旭川で、ロシアによるウクライナ侵攻から逃れ、ひ孫を連れて日本に永住帰国した降籏英捷さん(82)を取材しました。樺太出身で、日本に帰れず、ソ連国籍になり、モスクワの大学でウクライナの女性と知り合い、結婚。ずっとウクライナで暮らしていた男性です。その後も別の引き揚げの語り部や博物館の展示をとらえ、記事にしてきました。
これまでも各地で中国残留邦人のことを取り上げようとしてきました。長く異国で暮らし、日本語が不自由で思うことを伝えられない。そういう人たちがどんなことに困り、喜びを見いだしているのかに興味があります。
樺太は武装したソ連軍と地上戦が行われ、ソ連の占領、統治に入った後、日本人が大量に船で追い返されました。朝鮮籍の男性と結婚した邦人女性が帰国できなくなったなど、樺太には歴史のドラマが多くある。しかし、北海道の人の記憶からも消えつつあることを危惧しています。
—今後、取材してみたい課題は?
三木:還暦を前に、地域の老いを自分ごととして考えたいと思っています。人口が減り鉄道の廃止と学校の廃校が相次いでいます。しかし、鉄道と学校がなくなって以前より繁栄している地域は一つもない。公共交通をどう維持していくのかは大きな課題です。北大の岩下明裕先生(スラブ・ユーラシア研究センター 特任教授)の言葉ですが、「その国がいい国かどうかを判断する一つの目安は辺境をどう経営しているか」。それでいうと北海道は日本に大事にされているでしょうか。私たちメディアが声を上げていかなければいけないと考えています。
1967年大阪生まれ。大分支局、筑豊支局、外報部、香港支局、新潟総局、新庄支局、相模原支局などに勤務。2006年以降、北海道報道センター、小樽支局、函館支局、旭川支局など断続的に10年半勤務。
「新聞記者に聞いてみた」は今回で最終回となります。これまでのご愛顧ありがとうございました。