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11歳の彼は、いつもひとりぼっちだった。校庭の隅でギターを抱え、父から習った故郷の歌を弾いていた。
ある日、見知らぬ女性に声を掛けられた。
「いい曲ね。私にも教えて」
両親以外から聞く久しぶりのミャンマーの言葉。抑えていた不安な気持ちが一気にあふれ、少年は人目をはばからず、大声で泣いた。
1995年の冬、阪神・淡路大震災の避難所でのこと。彼に声をかけたのは、ボランティアをしていた外国語大生だった。彼女の助けで彼には友だちができた。
新潟県中越地震や台風の被災地でボランティアが活躍している。人が支え合う方法は、いくらでもある。
このようなコラムを若手記者のころ、岐阜の地域面に書いた。程なく、読者からお手紙を頂いた。
「優しい気持ちを持った若い人がいたことを知り、うれしくなりました。そして、私にも何かできるかも、と教えてくれてありがとう」
コラムを書いたのは2004年、まだ日本では「ボランティア=災害時の力仕事」といったイメージが強かった。
私もそうだった。「時間と体力だけはある」と力が入っていた学生に、被災した人たちは声をかけてくれた。
「一緒にいてくれるだけでうれしい」
見渡すといろんな人がいた。料理好きの元ホテルマンは、硬くなったおにぎりでおかゆを作り、便秘に苦しむ高齢者に喜ばれた。自称「遊び人」のフリーターは、朝から晩まで子どもたちと遊び、誰よりも楽しそうだった。
好きなこと、楽しいことが誰かの役に立つ。そのことを知り、いつかそれがあたりまえになるといいなと思った。
先日、道庁近くで「花のじゅうたん」を作る人たちに出会った。職業を尋ねると、うれしそうに答えてくれた。
「ボランティアです。お花が大好きだから」
朝日新聞北海道支社記者 長谷川 潤