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「バリケードで学校を封鎖して、生徒の職員室立てこもりがあり、僕も加わったんです」
あれは14年前。朝日新聞で働く札幌南高校卒業生の宴席の場だった。日米安保条約の自動延長に反対して、全学無期限ストを決議。校舎には機動隊が入った。そんな闘争の顚末を、この間のことのように語ったのが、外岡秀俊さんだ。
朝日の知性を代表する記者。多くの著作があり、東京本社編集局長・ゼネラルエディターもつとめた「大先輩」の思わぬ告白。冷静沈着、いつも穏やかな語り口の人だったので、血気盛んな高校時代とのギャップに驚いた。
そんな外岡さんのオーラル・ヒストリー(口述歴史)が5月に発刊された。「外岡秀俊という新聞記者がいた」(田畑書店)。聞き手は、朝日新聞の後輩だった及川智洋さん。生前、1年半かけて16章にまとめられたインタビューからは、私の知らなかった外岡さんの「熱い素顔」が浮かび上がってくる。
「僕らは会社員と思ったらダメだということなんですよ。『上がおかしいことを言ったと思ったら歯向かえ』ということなんです。その議論がなくなってしまったら、言論機関としてはおしまいだということです」
「僕の特ダネの定義というのは、新聞社がやらなければ決して世の中に出てこない不祥事とか、それを正すことが必要で、記者がそれをつかんでくる。取材先、ネタ元で不正があると知った場合にはそれを掘り下げて、自分が孤立してもいいから書くというのが僕らの仕事だと思う」
冒頭の宴席の3カ月後、外岡さんは早期退職して故郷に戻った。再会の機会もないまま、2021年に急逝された。ただ、私たち後輩に、全108回の北海道版のコラム「道しるべ」で、たくさんのメッセージを残してくれた。「記者の仕事は二つある。一つはいち早く知らせること。もう一つは忘れないことだ」。肝に銘じたい。

執筆者 北海道報道センター記者 日浦 統