このWebサイトの全ての機能を利用するためにはJavaScriptを有効にする必要があります。
>HOME  >よみもの一覧  >北の記者席から  >「十勝が育んだ夢 ゲートボール生誕秘話」(2026/6/16)
北の記者席から vol.52
北の記者席から

VOL.52十勝が育んだ夢 ゲートボール生誕秘話

今月の執筆者|朝日新聞北海道報道センター 記者 戸田拓
公開:2026年6月16日
ゲートボール少年団「マチルダ」のメンバー=芽室町健康プラザ
ゲートボール少年団「マチルダ」のメンバー=芽室町健康プラザ

 私は自分の思いつきに夢中になるタイプだ。突然降ってきた、多くはどうでもいいアイデアを、脳内でこね回してはほくそ笑むくせがある。なので、取材を通じて既に世を去った夢想家に出会うと「あなたもですか、先輩」と大いにうれしくなる。4月にゲートボール発祥の地、十勝・芽室町を取材したときに名前を知った発案者、鈴木和伸さんもアイデアにとりつかれたひとりだった。

 鈴木さんは秋田生まれで、サハリンで育った移住者だった。第二次大戦終戦後の混乱期に、従軍時代の上司に誘われて芽室町に渡った。共に開いたパン工場は大繁盛したという。だが、そこで満足しないのが夢想家である。

 町のゲートボール資料室の展示パネルは、鈴木さんが新スポーツを開発した動機について「満足な遊び道具がなく、大人の悪い遊びをまねして遊んでいる子供たちの姿を見て、手軽にできる健全な遊び道具をつくろうと考えました」と伝える。子供らは賭け事でもしていたのだろうか? そして、汽車の窓から鉄道保線用のツルハシを見かけたのをきっかけに思いついたのがゲートボールだったという。

故・鈴木和伸さんの生涯を紹介するパネル
ゲートボール創設者の故・鈴木和伸さんの生涯を紹介するパネル =芽室町健康プラザ

 試行錯誤しながら道具などの開発に没頭した鈴木さんは、近所の人から「変わり者」と見られても気にしなかった。広場に子供を集めて試行を繰り返してはルールを固めた。発案後ほどなくして鈴木さんは、芽室を飛び出して札幌などに移り住む。実用新案を出願し全国を渡り歩いては講習会を開くなど、普及に努めた。

 腰の軽さに加えて、アイデアの独自性を信じて貫徹する信念が鈴木さんにはあったのだろう。やがてゲートボールは高齢者を中心に広く親しまれるようになったが、芽室町が発祥の地だったことは没後まで忘れられていた、というエピソードも泣かせる。まるで一編のドラマのようだ。

 芽室町では今、もともと子供向けに開発されたゲートボールを改めて若い世代に普及させる「原点回帰」プロジェクトに取り組む。取材で訪ねた日はたまたま小学生らのゲートボール少年団の練習日で、子供たちがお互いを励ましながら楽しげに練習に取り組む姿をほほえましく眺めた。さらなる人気拡大に向けて、町には「カーリングのように若い選手らで人気チームを作れないか」というアイデアもあるという。

 新奇でおおらかな発想を受け入れる風土がこの地域にはあるのかもしれない。刺激を受けて、「ゲートボールの試合の合間に十勝名産の牛肉やジャガイモをバーベキューで食べる『モーモータイム』を作ってはどうだろう」といつもの空想癖が顔を出した。引き続き、取材を通じて様々なアイデアに出会えれば、と願っている。

北海道報道センター記者 戸田拓
※このページの内容、執筆者の肩書きなどは執筆当時のものです
※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください
先頭へ戻る