

この春ごろからだっただろうか。自分のなかにも排外主義的な考えがあることに気づき、はっとした。大通公園を歩いていると外国人が列をつくって通れない。列車で離れて座る知り合いと大きな声で外国語で会話する。うっとおしい。うるさい。これこそ、自分のなかの外国人と日本人を分ける「境界」であり、外国人を排除したい考えの「芽」ではないかと。
昨夏、人口減の日本では外国人ぬきではこの先まわっていかず、排外主義的な風潮を変えたいと、外国人雇用を進めて共生に取り組んでいる道内企業を紹介する連載を昨年書いた。この7月には、札幌市でインターナショナルスクールの開校計画が断念されたことも報じた。しかし、当の自分に、外国人に対する差別意識や排他的な考えがまったくないと言い切れるだろうか。
SNSでは、「移民反対」などとの主張が声高に叫ばれる。「郷に入れば郷に従え。江別市に多いパキスタン人の土葬はなんて絶対に受け入れられない」との声も直に聞く。
こうした排外主義的な考えと、自分の中のちょっとした差別意識が異なるものだとは言い切れない。日常の些細な不満や鬱憤が積み重なって、SNSで蔓延し、デモやヘイトにつながっていく。きれいごとでは解決しない。外国人と日常的にコミュニケーションを重ねていくことから、信頼が生まれ、共生社会ができあがっていくのだと思う。
インターナショナルスクールの開校計画断念の記事をめぐっては、読者や知り合いからも残念だとの意見が届いた。
私のパートナーはナイジェリア人で、4歳になる子どもはハーフだ。出産前後、性器の包皮を切り取る「割礼」を子どもに受けさせたいと彼が言った。日本には、こうした習慣がないので、受けられる病院は限られている。出産した北大病院の医師に聞くと、「近代医学では必要なく、危険なものでしかない」。私は受けさせない決断をして、話は自然消滅したかと思っていたところ、最近再びこの話が持ち上がった。8月末で異動することになり札幌を去ることと、成長する子どもに受けさせるならぎりぎりのタイミングだったためだ。何度も話し合って、最終的に、彼に折れてもらった。
外国人との共生とは、こういう一つ一つの意思疎通を通じて、習慣や考えの違いに折り合いや妥協点を見いだしていくものかもしれない。SNSで過激な意見が簡単に増殖していくなかで、簡単なことではないが、いろいろな人種の住民が仲良く暮らせる「国際都市」に札幌市が発展していくことを、今後は外から願って見守っていきたい。
札幌赴任は2021年4月から5年半におよびました。厳しくて長い冬を過ごしたことも、今となっては大切な宝物です。お世話になりました。