2010年(監督:松井久子)
ロケ地:札幌


イサム・ノグチ(1904-1988)は、20世紀を代表する芸術家として知られるが、北海道では札幌のアートパーク「モエレ沼公園」や大通公園の滑り台「ブラック・スライド・マントラ」をデザインした人物としてなじみ深い。イマジネーション豊かな作品を生み出し、注目を集めた彼の人生とは対照的に、ひっそりこの世を去った母、レオニー・ギルモア(1873-1933)に光を当てた映画が「レオニー」だ。
1892年のアメリカ・フィラデルフィア。名門女子大学として現在も続く、ブリンマー大学の授業を受ける若きレオニー(エミリー・モーティマー)から、物語は始まる。生涯の親友となるキャサリン(クリスティーナ・ヘンドリックス)や留学生・津田梅子(原田美枝子)と出会い、未来への希望に満ちていた彼女は、それから12年後の1904年、遠く離れたカリフォルニアの荒野にいた。馬車に揺られるレオニーは、なんと身重。テント小屋で産んだ男児が、後のイサム・ノグチである。
彼女がなぜ、たった一人で出産することになったのか。序盤は彼女の運命の人であり、イサムの父となる気鋭の詩人・野口米次郎(中村獅童)との出会いと別れを、いくつかの時間軸を行き来しながら描いていく。
その後、レオニーは幼い息子を連れ、日本に移住することを決意する。だが、彼女を待っていたのは、言葉の通じない異国で、シングルマザーとして息子を育てなければならない過酷な日々だった。気品を保ちながらも、生きるのに必死な彼女の様子に胸が痛むけれど、日本での奮闘がなければ、イサム・ノグチという不世出のアーティストは生まれなかっただろうことは、想像に難くない。たとえば、息子の審美眼を見抜いた彼女が、10歳のイサムに新築する一軒家の設計を任せるシーンは印象的だ。
おそらく実話が基なのだろうと、原案となったドウス昌代の著書『イサム・ノグチ 宿命の越境者』(2003年、講談社)を手に取ったところ、これが面白いのなんの! イサム・ノグチの波乱に富んだ人生を深く掘り下げるノンフィクション本なのだが、第一章のテーマは「母の子」。家設計のエピソードはもちろん、戦時下に10代のイサムは一人でアメリカに帰国することになり、現地の学校に入ったものの、突然の閉鎖で母と連絡が取れなくなり…という劇中の展開も、驚くべきことに事実だった。
イサム・ノグチにとって、母親の存在がどれだけ大きかったか分かると、この本に感銘を受け、7年の歳月をかけて映画を完成させたという松井久子監督の情熱にも、思いを寄せることが出来る。札幌シーンは、「モエレ沼公園」が映るラストだけなのだが、アートと自然が融合したこの空間は、イサム・ノグチの念願の作品だったのだと、本を読み終えて実感した私は、映画を観返し、思わず涙が込み上げた。
私がこの映画を今、紹介したいと思った理由がもう一つ。レオニーの日本暮らしを支える女性として登場するのは、小泉セツ。そう、今月最終回を迎えるNHKの朝ドラ「ばけばけ」主人公のモデルである! 実際、レオニーは小泉家の子どもたちに英語を教えたそう。イラストの一つは、小泉家とレオニー母子の初対面シーン。セツ役は竹下景子で、亡き夫・小泉八雲との思い出を英語で語る姿が素敵だ。この時、妻を大切にしない米次郎に対する手厳しい一言も飛び出し、松井監督の慧眼に拍手を送りたくなった。
イラスト&文 新目七恵(あらため・ななえ) ライター、ZINE「映画と握手」発行人。キュートな外見と聡明な雰囲気が魅力のエミリー・モーティマーさん、私は「ヒューゴの不思議な発明」(2011年)と「メリー・ポピンズ リターンズ」(18年)で記憶にありました。話は変わって、『イサム・ノグチ 宿命の越境者』の著者・ドウス昌代さんは、岩見沢生まれの方です!
