1988年(監督:朝間義隆)
ロケ地:登別、女満別、釧路、札幌、支笏湖

タクシーに乗ると、運転手さんの自己紹介プレートがたまに掛かっていて、「趣味」の欄に「映画」とあると、つい声を掛けたくなる。映画「椿姫」の主人公、釧路のタクシー運転手・格次郎(加藤健一)なら、間違いなくこう書くだろう。「オペラ鑑賞」と。本作は、オペラを愛する男と女のラブストーリー。モチーフはもちろん、世界で最も人気が高いオペラの一つ「椿姫」だ。
物語は、リサイタル公演を前に、釧路行きの飛行機に乗るオペラ歌手・水原(二期会・秋山恵美子)と弟子の美紀(秋吉満ちる)が、悪天のため140キロほど離れた女満別空港で降ろされるシーンから始まる。釧路の会場までタクシーで向かう羽目になったところ、偶然にも運転手(加藤)が熱狂的なオペラファンで大盛り上がり。「オペラ好きは意外なところにいる」という話題から会話は弾み、道東の道をひた走りながら、彼は芸者・小雪(松坂慶子)との恋物語を語り始める――。
それは4年前のこと。タクシー仲間の忘年会で登別の温泉街に泊まった彼は、二次会の席で意外な歌を耳にする。「乾杯の歌」。パリ社交界を舞台に、高級娼婦ヴィオレッタの愛と哀しい運命を描くオペラ「椿姫」の1曲だ。名曲として耳馴染みあるナンバーとはいえ、宴もたけなわなスナックにはそぐわない堂々とした歌いっぷりに心を奪われる格次郎。それが運命の女性、小雪との出会いだった。
オペラ歌手並みの美声を持つ芸者と、「2年に一度は金を貯め、東京へオペラを観に行く」のが趣味のタクシー運転手。オペラという共通項から急接近し、恋の炎に身を焦がす2人だが、小雪にはパトロン(大滝秀治)がいるし、離婚して子育て中の格次郎は兄(すまけい、イイ味!)から誠実な再婚を勧められている。しがらみの多い大人の恋愛は切ない。回想が進むにつれ、乗客は複雑な表情。オペラさながら悲恋の予感に目を伏せてしまう。
…と、ここでタクシーが目的地に到着。「結局、小雪さんとはどうなったの?」との質問に、格次郎がどう答えたかは、観てからのお楽しみ。ヒントをあげるなら、無事幕が開いたリサイタル公演を、誰もが笑顔で迎えられたということ。とりわけ、運転手の恋バナに一番はしゃいでいた美紀が、袖から客席をそっと見つめる目線が温かい。本作は、オペラを愛する男女のラブストーリーに触れた若者が、自分の志すオペラが、いかに人生を豊かにし、人の心を結びつけるかについて再発見するドラマともいえる。
そう考えると、格次郎が最初に挙げた「オペラ好きは意外なところに」エピソード! いかにも悪そうな強面男性陣(悪役商会・八名信夫)や、にぎやかな3姉妹(「かしまし娘」こと正司歌江、正司照枝、正司花江)も、単なる珍客ではなく、愛すべきオペラファンとして思い起こされる。個人的には、格次郎含めた登場人物が皆、オペラで連想しがちな富裕層ではなく、ここ北海道で生きる市井の人なのも嬉しい。オペラに詳しくないけれど、かくいう私も映画という総合芸術から日々元気をもらっている。

イラスト&文 新目七恵(あらため・ななえ) ライター、ZINE「映画と握手」発行人。「椿姫」の脚本は、ご存じ「男はつらいよ」シリーズなどを生み出した山田洋次&朝間義隆コンビ。「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)もこの2人が共同執筆したこと、また映画「椿姫」の前に制作したテレビドラマ版(1985年)では千歳空港から札幌に向かうコースだったことを考えると、ロードムービーの舞台としての北海道の魅力を知り尽くし、何度も挑戦したことが伺えます。