1953年(監督:亀井文夫)
ロケ地:夕張、釧路

ちょうど67年前の今頃、夕張炭鉱は興奮に沸いていた。なぜなら、〝ベルさん″の愛称で親しまれる人気女優・山田五十鈴が、自分たちと同じ坑夫姿で映画撮影に励んでいたからだ。
「女ひとり大地を行く」は1952年9月下旬から11月中旬、夕張をはじめ、釧路の太平洋炭鉱や雄別炭鉱などでロケされた。主人公は、炭鉱に出稼ぎに行った夫(宇野重吉)を追い、秋田から北海道に渡った貧農の妻サヨ(山田)。ところが夫はガス爆発で死んだと聞かされ、彼女はやむなく、2人の子を育てるためその炭鉱で働くことに。切り崩した石炭をスコップで積み込む女坑夫や、石炭と廃石をより分ける選炭婦をしながら、戦中・戦後を生き抜いていく。
「鶴八鶴次郎」(1938年)「流れる」(1956年)など艶やかな着物姿の役が多い山田だが、本作では炭塵まみれの〝ヤマの女″に挑戦。出演時既に芸歴20年以上の彼女だったが、本作のシナリオを受け取ったときは「私が今まで出た映画とはまるで違う」と途方に暮れたとか。ロケ中は夕張の炭鉱長屋に泊まり、地元の坑夫や主婦と生活を共にして役作りしたという。
映画は、数奇な女の半生を追いながら、北海道の炭鉱の歴史を描いていく。それは過酷な労働や爆発事故、強制労働など辛い記憶であると同時に、石炭産業に命をかけた無名の人々の営みでもある。夏の夜、隣人同士でスイカを分け合い、噂話に花を咲かせる炭鉱住宅のシーンは、彼らがいたわり合い、笑いながら毎日を乗り越えていたことを教えてくれる。とりわけ印象に残るのは、世話好きなお花(北林谷栄)の存在だ。快活な彼女だが、夫を炭鉱事故で亡くしており、妻を亡くした別の坑夫と再婚して娘を育てている。山ひだにびっしりと並ぶ長屋の灯ひとつひとつに、そんな家族の物語があったのだ。
実は、本作を企画したのは1950年に設立されたばかりの日本炭鉱労働組合北海道支部。「これは北海道の炭鉱労仂者が一人三十三円ずつ出しあってつくった映画である」というクレジットが最初に出る通り、300万円の予算を用意し、独立系の映画会社・キヌタプロと共同製作した。脚本を担当した新藤兼人らは、現場の意見を取り入れてシナリオを作ったという。
ところがいざ撮影を始めたところ、会社からロケを妨害されるなどアクシデントに見舞われた。エキストラの協力も会社が止めたそうだが、爆発事故を悲しむ群衆の再現や労働歌を合唱するラストシーンなどに多くの人が出演。まるでドキュメンタリーのような気迫がみなぎるのは、「自分たちの映画を作りたい」という彼らの願いと憤りがあるからだろう。本作にカンパした人の数はおよそ9万人。ヤマの誇りと希望を込め、ようやく完成した映画を観たとき、彼らは何を思ったのだろう。
日本遺産に「炭鉄港」が選ばれ、各地の炭鉱跡に光が当たっている。ならば、そこで働いた人たちが作ったこの映画にも、新たな輝きを見いだせるのではないだろうか。
イラスト&文 新目七恵(あらため・ななえ)
ライター、ZINE「映画と握手」発行人。「女ひとり大地を行く」の資料を集めていたら、詩人の吉増剛造さんが本作に触発されて詩を作ったことを、著書「燃えあがる映画小屋」(青土社)で知りました。映画と詩の創造性は時代を超えるのですね。