1964年(監督:舛田利雄)
ロケ地:北海道内(ダム工事現場、漁港)

裕次郎さんは、今日もホームに立っていた。
夏の太陽がまぶしい7月半ば、小樽駅の4番線に私はいた。ここは通称「裕次郎ホーム」。1978年5月にNHK番組のロケで石原裕次郎が降り立ったことを伝える等身大パネルが設置されている。
映画やテレビ、歌謡曲と、昭和の日本を明るく照らした石原裕次郎(1934~87)。今年は生誕90周年の記念イヤーであり、北海道ゆかりの主演映画「赤いハンカチ」を本コラムで紹介しようと準備していたところ、市立小樽文学館が裕次郎に関する展示会を企画!(7月13日~8月25日、観覧無料)さっそく足を運んだというわけだ。
「石原裕次郎と海陽亭」と題した会場には、レコードや書籍、グッズのほか、貴重なプライベート写真が多数展示されていた。というのも、海陽亭とは小樽屈指の老舗料亭。女将たちは家族ぐるみで船会社・山下汽船の支店長だった裕次郎の父、人気俳優となった裕次郎と親交があったことが明かされていた。
海陽亭との深い縁(何でも、多忙を極めたデビュー3年目、裕次郎が撮影所から〝失踪〟した行き先も海陽亭だったとか!)もさることながら、これだけの資料を提供したのが、まだ30代の年若い〝裕次郎ファン〟というのも驚きだった。小樽在住の会社員・佐藤星児さんだ。

佐藤さんによると、父に連れられ、オープン直後の小樽・裕次郎記念館に行ったのが5歳の頃。その後、13歳の時にラジオから流れてきた裕次郎の歌「嵐を呼ぶ男」に衝撃を受け、地元・旭川の図書館で裕次郎の資料を探し集めるように。調理師学校を卒業して調理師免許を取得すると、縁あって、なんと海陽亭の札幌店(現在は閉店)に就職! 3代目女将、故・宮松芳子さんや夫の故・重雄さんから裕次郎の思い出話を聞きながら働いたという驚きの経歴の持ち主だった。「裕次郎さんの器の大きさや人柄に惹き付けられます。海陽亭で働いたのは2年ほどでしたが、毎日が贅沢で最高でした!」と話してくれた。
さて、佐藤さんと同じく、裕次郎をリアルタイムで知らない私だが、この機会に出演作の一部を一気見してみた。デビュー作「太陽の季節」から「狂った果実」「ジャズ娘誕生」「幕末太陽傳」「俺は待ってるぜ」「嵐を呼ぶ男」「錆びたナイフ」「風速40米」「山と谷と雲」「鉄火場の風」「銀座の恋の物語」「赤い谷間の決斗」「夜霧よ今夜も有難う」……見れば見るほど、驚いた。青春ドラマにミュージカル、時代劇、アクション、メロドラマ。さすが希代の大スター! 映画=エンターテインメントの喜びを一手に体現するような活躍ぶりではないか。
多彩な作品群の中でも、映画「赤いハンカチ」の存在はひときわ輝いていた。ある過失を悔やみ、北海道で肉体労働に明け暮れる元刑事(裕次郎)が、過去を取り戻すサスペンス。惹かれ合う人妻(浅丘ルリ子)との関係も美しく、彼が劇中で何度も口ずさむ主題歌(1962年リリースの同名ヒット曲)が哀愁たっぷりに物語を盛り上げる。
映画ロケ地にこそならなかったが、駅のオブジェや今回の展示が示すように、裕次郎と小樽の町が〝相思相愛〟なのも嬉しい。文学館からの帰り道、裕次郎が好んだアジサイの花が道端で咲き誇っていた。

文&イラスト 新目七恵(あらため・ななえ) ライター、ZINE「映画と握手」発行人。小樽海陽亭は現在閉店していますが、小樽市指定歴史的建造物指定の木造建築2階建ての建物は小樽港を見下ろす高台に健在。ちなみに、熱烈ファン・佐藤星児さんのイチオシ裕次郎映画は「夕陽の丘」(※本コラム59回で紹介)と「黒部の太陽」。好きな曲は「きりがありませんが」と前置きした上で、「おれの小樽」と「昭和たずねびと」を挙げてくださいました