1955年(監督:田中絹代)
ロケ地:札幌、江別、洞爺湖、小樽、支笏湖

《母を軸に子の駆けめぐる原の晝(ひる)木の芽は近き林より匂ふ》
帯広市中心街からほど近い緑ヶ丘公園の一角に、歌人・中城ふみ子の歌碑を見つけたのは、3年前の秋のこと。50.5ヘクタールの広大な敷地に、動物園や児童会館、道立美術館などが点在する自然豊かな公園は、この街で育った私には慣れ親しんだ場所だったが、歌碑の存在は知らなかった。帰省ついでに探したのは、映画「乳房よ永遠なれ」ゆかりの場所だったからだ。
映画の主人公・下城ふみ子(月丘夢路)のモデルとなった中城ふみ子は、1922(大正11)年、帯広の呉服屋の長女として生まれ、20代で結婚・離婚を経験。母として、恋多き女性として、そして、乳がん患者としての心境を短歌に昇華させ、戦後の日本歌壇に衝撃を与えた直後、31歳の若さでこの世を去った。ショッキングな映画タイトルは、彼女の最晩年を取材し、〝最後の恋人〟となった当時の時事新報文化部記者・若月彰が綴ったルポルタージュ本の題名だ。
物語は、壊れかけた夫婦関係に悩みながら、作歌に励むふみ子の生活描写から始まる。結局、子どもを連れて実家に戻ったものの、肩身の狭い思いをする彼女はある日、乳房に異変を感じる。そして、あまりの激痛に倒れた後、乳がんを発症したことを知るのだった……。ふみ子の良き理解者である先輩歌人・堀を札幌生まれの名優・森雅之が好演。大通公園や創成川周辺、札幌駅、月寒、北大・ポプラ並木など、ロケ地となった札幌市内各所のどこか牧歌的な往時の風景も目を引く。
入院中のふみ子が、東京から派遣された新聞記者・大月章(葉山良二)と出会ってからが、後半の見どころだ。取材目的の面会に反発する彼女だが、帰ろうとする彼に歌を贈り、心を通わせていく。病室に泊まり込んで看病し、床で添い寝する彼に抱かれようと迫る夜のシーンは、死を目前にした絶望と、それでも愛を貪ろうとする女の性を伝える大胆で繊細な表現が光る。
驚くのは、本作の公開が、中城の死のわずか翌年ということ。『乳房喪失』という、これまた衝撃的なタイトルの歌集や、若月のルポ本が発行されたばかりだったから、歌人・ふみ子の存在は、風評を含めて様々な角度から取り上げられたことだろう。
とはいえ、話題性だけで映画化したわけではないことは、メガホンを持ったのが、あの田中絹代だということから分かる。少女時代から日本映画界で活躍し、スター女優としてのキャリアを築いた田中が、監督業に挑戦した3本目が本作。田中は「心の底まで、いや全身でしみじみと女を感じながら読んだ」と原作を読んだ時の興奮を演出者のコメントとして残している。短歌と映画、分野は違っても、最期までクリエイターとして生きたふみ子に、強く感情移入したのではないだろうか。
かくいう私も、中城の短歌に心惹かれる一人だ。とはいっても、相聞歌は激しすぎ、病や子どもの歌は切なすぎて、どちらも少し近寄りがたい。今の私にフィットするのは、たとえばこんな歌だ。
《梟も蝌蚪(かと)も花も愛情もともに棲ませてわれの女よ》
文&イラスト 新目七恵(あらため・ななえ) ライター、ZINE「映画と握手」発行人。中城ふみ子が札幌医科大学附属病院で亡くなった時、その大学の医学部生だった渡辺淳一は、彼女の生涯を小説『冬の花火』にまとめました。地元・帯広には、ふみ子の歌碑が十勝護國神社境内にもあります。また、没後50年の2004年~22年には、現代の才能を発掘する「中城ふみ子賞」が隔年実施されました。
