2025年(監督:マーク・ギル)
ロケ地:美深(関連地)


深瀬昌久(1934‒2012)という北海道ゆかりの写真家をご存じだろうか。
道北の町・美深で2代続く写真館の長男として生まれるも、大学進学のため上京した後は戻らず、広告写真家として活躍。1960年代から雑誌や個展で作品を発表し、74年にアメリカ・ニューヨーク近代美術館の企画展に出展すると海外からも注目の存在に。その作風は、妻や家族など自身のプライベートにカメラを向けるもので、後に「私写真」と呼ばれる革新的な表現スタイルの先駆者となっていく。
同時代の写真家に荒木経惟や森山大道がおり、彼らは今なお著名なのに対し、深瀬の知名度がいま一つなのは、92年に起こした転落事故で脳障害を負い、78歳で亡くなるまでの20年間、活動できなかったため。欧米を中心に再評価が進む中、2015年にイギリスの新聞で深瀬を知ったマーク・ギル監督が、9年掛けて完成させたのが「レイブンズ」だ。
前置きが長くなったのは、私自身、この映画を観るまで深瀬のことを全く知らなかったから。そんな私から見ても、主演の浅野忠信は静かな狂気をはらむ主人公・深瀬役にぴったりで、運命の女性となるモデル・洋子役の瀧内公美と共に強烈な存在感を放っていた。ただ、深瀬の実家である写真館シーンがたびたび登場するものの、北海道らしい風景も、エンドクレジットにロケ地情報も見当たらなかったことから、道内ロケではないらしいのが道民としてはちょっと残念。とはいえ、最近、動画配信で観直したところ、ドキュメンタリーではなく、フィクションを織り交ぜた伝記映画としてイギリス人の監督が作り上げたその情熱に改めて感服。北海道ゆかりの1本として紹介したい。
深瀬の写真に触れたくて、作品集『MASAHISA FUKASE』(赤々舎、2018年)をはじめ、数冊の写真集を札幌の図書館で開いたところ、驚いたのが、ここ北海道との関わりの深さだ。洋子(瀧内)との関係が崩れかかった時、彼が向かった先は故郷・美深。その後も度々帰省し、家族写真を奇抜な演出付きで撮影し続けるのは、劇中で描かれた通り。また、映画タイトルの由来にもなり、日本写真の金字塔とされる代表作『鴉/RAVENS』(1986年初版、蒼穹舎)も、東京の結婚生活が破綻寸前となり、逃避行のように北海道各地を旅する中で撮影した作品が大半を占めていた。こちらに向かって深瀬(浅野)がカメラを構えるイラストは、そんな放浪旅の最後、青函連絡船上のワンシーンから。この時撮影した1葉は、暗がりで孤独をまとったカラスの群れとは異なる新鮮な輝きがあって、私は好きだ。
映画では池松壮亮が演じた助手のモデルと思われる人物の書物も読んだ。師弟関係にあった彼の思慕のこもった文章を読むにつれ、破天荒に生きた彼の、繊細な人柄に惹かれた人も少なくなかったのだろうと想像できた。9年もの歳月をかけ、会ったことのない伝説的な日本人カメラマンの一代記に挑んだマーク・ギル監督もその一人といえる。元ミュージシャンである彼の選曲センスも光っていて、イギリスのバンド、ザ・キュアーの名曲というエンディング曲「Pictures of You」は、狂おしいほどの情熱を写真に捧げた深瀬の青春に寄り添う、極上のラブソングに聴こえた。
ライター、ZINE「映画と握手」発行人。深瀬昌久氏は1992年、東川町が主催する「写真の町 東川賞」の特別作家賞に選ばれましたが、直前に倒れたため、弟子の瀬戸正人氏が授賞式に代理出席したそうです。瀬戸氏は95年、同賞の新人作家賞、21年には国内作家賞を受賞。本文の「助手のモデルと思われる人物の書物」とは、瀬戸氏の著書『深瀬昌久伝』(日本カメラ社、2020年)のことです。
