1984年(監督:小栗康平)
ロケ地:森、中標津、七飯


ずっと気になっていた「伽倻子のために」のDVDを手に入れたのは、もう10年ほど前のこと。小栗康平監督と映画評論家・前田英樹氏の対談などを収録した書籍付きの豪華版セットだったが、「在日朝鮮人二世」という主人公の境遇に、どこかたじろぐ自分がいて、なかなか封を切ることができなかった。小栗監督のデビュー作「泥の河」(1981年)に胸打たれ、李恢成(リ・カイセイ)の原作小説『伽倻子のために』を読み、ようやく本作を観る心づもりができたのは、今年に入ってからのことだ。
1957(昭和32)年の夏。学ラン姿の青年(呉昇一〈オ・スンイル〉)が夜汽車に揺られ、森町に降り立ったところから物語は始まる。平屋建ての粗末な木造家屋を訪ねた彼は、こう名乗る。
「樺太の真岡にいた林のサンジュンです」。
突然の来訪に驚く「クナボジ」こと松本(浜村純)との会話から、サンジュンの父と松本は、1945年まで日本の領土だった旧樺太(ロシア・サハリン)で苦労を共にした仲間であること、戦後は北海道で暮らす在日朝鮮人であることが分かってくる。父の代理で来たというサンジュンに、松本は日本人の妻と暮らす近況を語り、一人娘として大切に育てている伽倻子(南果歩)を紹介するのだった。
原作を読んだとはいえ、在日コリアンの歴史的背景に疎い私には、くみ取りにくいニュアンスのセリフもあった。それでも心に残ったのは、政治的なメッセージではなく、若い男女の痛切な愛の軌跡である。
たとえば、サンジュンと伽倻子が再会し、夜のシラカバ林で荷車を引く、甘いときめき。七飯・大沼公園の祭り会場を抜け出し、2人きりでボートに乗った時の、はっとするような胸の高鳴り。
驚いたのが、東京でサンジュンと同棲していた伽倻子が、北海道に帰ることになった深夜の場面だ。外を歩く2人の前に、奇妙な装置を使う男(蟹江敬三)が現れる。水道管の漏水調査で地中の音を聴いていると知った2人は、道に寝そべり、自分たちも耳を澄ませてみる。その時、伽倻子の目から一筋の涙がこぼれ落ちる……。映画オリジナルであるこの場面に漂う静けさと哀しさは、私の胸にくっきりと焼き付き、今も離れない。
「GO」(2001年)や「パッチギ!」(2005年)など、在日コリアンを描いた物語の舞台は、首都圏や関西が多い中、この作品が北海道を主舞台としているのは、もちろん原作に忠実であろうとしたためだろう。旧樺太で生まれ、戦後は札幌に移住した在日朝鮮人二世の原作者・李。ほとんど自伝に近いとされる原作小説には、親子の価値観の違いや日本人との結婚問題など、在日コリアンをめぐるさまざまな葛藤が刻み込まれている。
一方、映画版ではそうした描写を思い切ってそぎ落とし、その分、情感豊かな映像表現に注力。DVD特典の書籍で、小栗監督は「晩秋の根釧原野をボンネットバスが行く場面があります。そこは一面、茶の一色です」と語るなど、色彩設計へのこだわりを明かしていた。いつか劇場のスクリーンで観る機会があったなら、この物静かな作品が秘めた美しさを、思う存分味わってみたい。
そんなことを考えていた矢先、札幌・シアターキノで印象的な映画と出合った。日本の朝鮮学校に通う14歳の少女・ソヒを主人公にした「トロフィー」(2026年、孫明雅〈ソン・ミョンア〉監督)だ。
「伽倻子のために」の主人公は在日二世だったのに対し、「トロフィー」のソヒは在日四世。K-POPアイドルにハマる様子に隔世の感を覚えつつ、自分の生き方に悩む姿はどこか共通しているように思えた。
現代の東京を舞台にしたこの作品では、劇中に何度か川の流れが映し出される。これはもちろん私の勝手な幻想なのだが、「伽倻子のために」で伽倻子がこぼした涙や、2人が耳をそばだてた道路の下をひたひたと流れる水の気配が、あの川へとつながっている気がしてならなかった。
イラスト&文 新目七恵(あらため・ななえ) ライター、ZINE「映画と握手」発行人。「トロフィー」の主人公・ソヒ(恒那〈ハンナ〉)の父親・サンジュを演じたのは、井浦新さん。といえば、「かぞくのくに」(2012年、ヤン・ヨンヒ監督)も忘れられません。日本に住むリエ(安藤サクラ)のもとに、「帰国事業」で北朝鮮に渡り、病気治療のため日本に一時帰国した兄という複雑な役柄を、井浦さんが抑制のきいた演技で体現していました。
