宮沢賢治(筑摩書房)
登場する地域:苫小牧

そのまっくろなしぶきをあげて/わたくしの胸をおどろかし/わたくしの上着をずたずたに裂き/すべてのはかないのぞみを洗ひ/それら巨大な波の壁や/沸きたつ瀝青と鉛のなかに/やりどころのないさびしさをとれ
「一ニ六 牛」という作品の先駆形として書かれた「一ニ六 海鳴り」という詩の一節である。宮沢賢治は、自然と交感した心象を絵画のようにスケッチする人であった。「海鳴り」は、苫小牧の海岸にて書かれた作品であるが、ここにはっきりと「やりどころのないさびしさ」という彼の心象が発露している。
1924年5月、賢治は花巻農学校の教員として修学旅行の引率で北海道に来ていた。その様子は彼自身によって書かれた「修学旅行復命書」に詳しいが、近代化が進む北海道に驚嘆しつつ、生徒とともに終始充実した時を過ごしていたことが伺える。だが、その一方で彼は、1922年11月に失った妹の魂をここ北の大地に求め続けていたのかもしれない。
直筆の下書稿で確認すると、「すべてのはかないのぞみを洗ひ」の部分は、当初「ねがひ」と書かれていた。何かに託した「ねがひ」も、こうありたいという「のぞみ」さえも、真っ黒な海原に洗われる賢治の心境はどれほどだったか。
のちに、「海鳴り」はこうした賢治の個人的心象が削ぎ落とされた「牛」へと改稿されてゆく。「海鳴り」をはじめ、北海道の原風景と心を交わした詩群は、どれも味わい深い。