奥田 英朗(光文社文庫)
登場する地域:苫沢町(架空の町)

179市町村のうち、その8割以上が過疎地域になっている北海道民にとって、「過疎」ということばは、もはや当たり前すぎるものになってしまった。私が卒業した山間の小学校も、児童数の減少により105年の歴史に幕を下ろした。商店も郵便局も姿を消し、残っているのは僅かな農家とお寺だけだ。
『向田理髪店』の舞台も、道内の過疎の町である。かつては10軒以上あった理髪店が今では2軒で、客の大半は町の高齢者。人より牛の数が多く、若者は都会に向かう。けれども、どんなに過疎の町であろうとも、そこには人々の暮らしがあり、感情の起伏もある。
都会で暮らす息子が突然帰ってきて家業を継ぐと言い出して困惑したり、倒れた父親のために、毎週末東京から見舞いに来ることを決断したり、10数年ぶりに新規開店したスナックのママに、町じゅうの男性が色めき立ってトラブルに発展したり、町にいた頃は優秀で活発だった若者が、全国指名手配されて慌てたりする。そんなときに間を取り持ち、さり気なく説得するのが、「向田理髪店」の店主だ。
そのやり取りに、そうだった、人と人とのつながりとはこういうものだった、と北海道で生まれ育った誰しもが思い至るはずである。濃密だけれど後を引かない、わきまえた関係性の心地よさ、町に住む誰もがすべてを知っているという、うっとうしさの中にある安心感。
声高に過疎の町を何とかしようと訴える話ではなく、「過疎」につきまとう物寂しさや切なさもない。あるのは、決して見捨てないというつながりが生み出す、明るさと力強さだ。
過疎の町を故郷に持つ若い人たちにこそ読んでほしい、心がほんのり温まる物語である。