河﨑秋子(小学館)
登場する地域:標茶、硫黄山

明治18年、主人公の瀬戸内巽は北海道月形にある樺戸集治監に送られる囚人の一人として、石狩川を上る汽船に揺られていた。元士族の家庭で育ち、東京大学の学生として将来を嘱望されていた青年がなぜこのような状況に陥ってしまったのか。そこには歴史的な事情があった。
西郷隆盛による西南の役に代表されるように、明治新政府に対する不平不満が高まっていたこの時代、国事犯が増加し、度重なる戦乱で国民は困窮し犯罪が後を絶たず、国内の監獄は飽和状態に。折しも、不凍港を求めて南下政策をとるロシアの脅威から日本を守るため北海道開拓が急務となっており、囚人の収容問題と開拓の推進を一気に解決する「廉価な労働力」として北海道への囚人移送が急速に進んでいた。
本書に登場するアトサヌプリ(硫黄山)での硫黄採掘は過酷だ。亜硫酸ガスが立ちこめる中、つるはし一つで岩盤を砕き、モッコで硫黄を運ぶ作業が延々と続く。硫黄の粉末で眼疾となり失明する者、過酷な労働で命を落とす者も少なくなかった。川湯温泉の熱源である硫黄山は観光地として知られており、私も何度か訪れたことがあるが、このような歴史があったことを改めて知った。
本書において最も心に残ったのは「救い」だ。夢も希望も、明日の命さえもおぼつかない、文字通り「救いのない」日々の中で主人公が正気でいられたのは、同房の山本大二郎の存在によるところが大きいだろう。では、大二郎にとっての救いとは一体何であったのか。果たして、それは本当に彼にとっての「救い」であったのか。命の重さや運命の皮肉さ、救い救われるもの、北海道開拓の歴史について深く考えさせられる作品である。