久栖博季(新潮社)
登場する地域:釧路

久栖博季は、釧路の出身であり、2025年12月に「貝殻航路」で芥川賞候補に選出されたことでも注目される作家である。本書は、2023年発表の三島由紀夫賞候補ともなった表題作を含むデビュー作品集である。
物語の舞台は、釧路。2018年9月に北海道全域を襲ったブラックアウトの夜が描かれている。都市機能が停止し、街が深い闇に包まれたあの日、主人公の夕香は、アイヌであった祖父の遺品である「ウミガメの剝製」を処分するため、かつて運河だった公園を彷徨う。
作中には柳町公園や釧路市民文化会館など、釧路市民にとってなじみ深い場所が登場する。しかし、停電による暗闇と、剝製を抱えて歩くという非日常的な状況が、見慣れた風景を幻想的なものへと変貌させる。夕香はアイヌの血を引いているが、そのアイデンティティーに疎外感を抱き、周囲になじめずに孤独を感じて生きてきた。彼女が暗い夜道を歩きながら向き合うのは、自身の内面であり、土地に刻まれた歴史の記憶でもある。
著者は、登場人物たちの揺れ動く心情をていねいな筆致で描き出す。そのことばの一つひとつが、現代社会における個人の孤独や葛藤と深くつながっている。
本書を読むことは、単に物語を追うだけでなく、私たちが暮らすこの地域の足元に広がる重層的な歴史や文化の地層に触れる体験となるだろう。ブラックアウトの夜、なじみのある街がまったく別の顔を見せたように、この一冊は見慣れた地域の風景に新たな視座を与えてくれるはずである。