時田則雄(角川書店)
登場する地域:帯広

帯広市在住の歌人・時田則雄は、身のまわりの物事にふれて体が感じとることを、きれいごとから遠く離れた言葉にしようとする。
盛りあがり春陽にまぶし反転土つちにも裏のあるを知りたり(『緑野疾走』)
完熟の牛糞堆肥の湯気のなかパワーショベルも躍つてゐるぞ(『ポロシリ』)
「野男」は、祖父の代から受け継ぐ農地という場所と、引き継いできた家族の歴史の交わるところに立つ。10代後半からの60年間、「野男」にとって「農」と「歌」とはひとつのことだった。
野男の名刺すなはち凩と氷雨にさらせしてのひらの皮(『北方論』)
冬の日に十指翳せばおのづからゆびは捕獲のかまへとなれり(『北方論』)
十勝野はわれの劇場春雷のやうに一生を轟くのだよ(『十勝劇場』)
荒々しさの陰に見え隠れする心の揺れも、時田則雄が創り出す「野男」の魅力だ。家族に向けられる眼差しは、どこまでもやさしい。
ビート苗三万株に水そそぐ妻は小さき虹をたてつつ(『緑野疾走』)
麦の香のしみし五体を水風呂に沈めてあれば子が潜りきぬ(『緑野疾走』)
妻と娘と並びみてゐる遠花火ひとつひらけば二つためいき(『ペルシュロン』)
十勝から発信される時田則雄の短歌はこれまで、現代社会に真っ当な疑問を投げかけてきた。都市化する環境に被害者意識を募らせつつ、それでも順応しようとする人間の「無理」に対して、「野男」は「まず体に聴いたらどうだ」と語っているのではないか。
獣医師のおまへと語る北方論樹はいつぽんでなければならぬ(『北方論』)
水がうまい 空気がうまい そりやさうだ オペリペリケプの樹なのだ 俺は(『オペリペリケプ百姓譚』)