谷川徹三編(岩波文庫)
登場する地域:札幌

遠くなだれる灰光と/貨物列車のふるひのなかで/わたくしは湧きあがるかなしさを/きれぎれ青い神話に変へて/開拓紀念の楡の広場に/力いっぱい撒いたけれども/小鳥はそれを啄まなかった
1927年3月28日。岩手・花巻農学校の教師を辞し、ひとり北上川の川べりで畑を耕しながら、厳しい自然と向き合っていたあの日。宮沢賢治は、何かを思い出したかのように一編の詩を書き留めた。心象スケッチ「札幌市」である。
詩人、草野心平は「札幌市」と「業の花びら」に特別な思いを寄せていたようだ。著書『わが賢治』で、この2つの作品を「凄烈とかなしさという痛切な心情が、痛い響きを持って私達の中に入ってくる」と評している。孤独な心情を吐露することを警戒していた賢治。だがこの日、湧きあがるかなしさを胸の内に留めておくことはできなかった。
「札幌市」は、赤罫線の縦書き原稿用紙に一度清書したのちに、左隣にラフな筆致で改稿し、最後に大きなバツ印を付けた下書稿しか存在していない。下書稿では、「開拓紀念の石碑の下に/力いっぱい撒きちらした」と言い切って一度気持ちを置いた。だが、それには満足できず、楡の広場にいる小鳥にかなしさの所在を託した。
修学旅行の引率で札幌市を訪れてから3年後。「札幌市」は、どうしてこの日付を付しているのか。なんべん考えても、やっぱりわからない。これは、賢治から私たち北海道民に課せられた、永久に未完成の問いである。