浅田次郎(集英社文庫)
登場する地域:美寄、幌舞(北海道の架空の町)

〈あなたに起こる やさしい奇蹟〉
こんなキャッチフレーズで売り出された、直木賞受賞の処女短編集。その表題作は、今は亡き名優・高倉健を主演に映画化もされた。
佐藤乙松は、鉄道員(ポッポヤ)として勤続45年。かつて炭鉱の町として栄えた幌舞線の終着駅・幌舞の駅長としてまもなく定年を迎えるころ、幌舞線の廃線が決まる。娘を幼くして亡くした日も、妻を亡くした日も、最期に立ち会うことなくホームで旗を振り続けた乙松。鉄道員として最後の正月、乙松の元に不思議な少女が現れる。
小説は創作である。という言い方はいささか乱暴かもしれないが、登場する町は架空の存在であり、作中には現実に起こりえないことも起こる。それでもなお感情を揺さぶられるのは、地方ならではの自然描写とゆったりした時間感覚、なんだか懐かしさを感じる北海道方言などが、心に染み渡るがゆえであろうか。
「ポッポヤはどんなときだって涙のかわりに笛を吹き、げんこのかわりに旗を振り、大声でわめくかわりに、喚呼の裏声をしぼらなければならないのだった」
乙松はどんなことが起きようとも自分の仕事を最後まで全うした。不器用ながらもまっすぐな思いを持った男。映画のロケ地となった幾寅駅は2016年の台風の影響で今なお不通となっているが、雪の降りしきる中に立つその勇姿は、現在も映像として残っている。令和となった今、彼の背中から「やさしい奇蹟」を感じてみるのもよいかもしれない。