長嶋有(文春文庫)
登場する地域:M市(室蘭)

「北海道の女の人って、みんなそんなにワイルドなの?」とは、かつて関西の友人から私が言われた台詞だが、『猛スピードで母は』に登場する母親こそ、まさにワイルド。スパイクタイヤを片手に1つずつ持ち、手際よく交換する。愛車のシビックで、10台のワーゲンを追い抜く。離婚後は、資格を取るために働きながら学校に通う。極め付きは、家の鍵を車内に置いたままロックしてしまったときの行動だ。ブーツとストッキングを脱ぎ、ベランダの窓から部屋に入るべく、団地の側面の梯子を4階まで登っていく。
そんな母親と暮らす息子の慎は、「私、結婚するかもしれないから」という母親の唐突なことばに、「すごいね」と返してしまう小学5年生。洗濯槽の泡を見つめ、ガソリンスタンドの店員の動きを観察し、毎日水族館のトドを眺める。そして、オトナの都合でコロコロ変わる環境を、静かに受け入れる。派手なことは何も起こらないが、母と子の会話にクスリと笑え、その距離感が心地よい作品である。
母子が住むM市は、長嶋有が中学高校時代を過ごした室蘭市。作品中で母親はM市を馬鹿にしているが、今年の室蘭を見てほしい。室蘭と岩手県の宮古を結ぶフェリーが就航し、白鳥大橋開通20周年で活気づいている。慎が日参していた、北海道最古の水族館も健在だ。トドは「サクラ」ではなく、娘の「マリン」だけれど。